2014-08-01

<プロフィール>

下地 奨 / Shimoji  Sho

BEC Tero Sasana F.C(タイプレミアリーグ)

 

2008年にサガン鳥栖に入団。3シーズンプレーした後、スポルティボ・ルケーニョ (パラグアイ)に移籍。その後ブラジルのCAアトレチコ・リネンセとEsporte Clube Águia Negraでプレー。2013年シーズンより、タイ・プレミアリーグのBECテロ・サーサナFCに所属。2013年はタイプレミアリーグオールスターに選出された。

 

イでの1年目はリーグオールスターに選出。2年目の今年も得点王争いに加わる活躍。しかし、そんな彼も数年前は銀座のクラブでのアルバイトで生活費を稼ぐ時期があった

 

-タイに来る前に日本、パラグアイ、ブラジルでプレーされてますが当時の様子を改めて振り返って頂けますか?

2008年に青山学院大学を卒業後、当時J2のサガン鳥栖に入団しました。その時は小さい頃からの「プロサッカー選手になる」という夢を叶えたという思いでした。しかし、人生の大きな夢を叶えてしまった僕はその後、明確な目標や夢を持てないまま鳥栖で3シーズンを過ごしました。もちろん毎日の練習や試合を一生懸命していましたし、自分自身成長している手応えもありました。ただ深い部分では生活のためにプレーしている自分に対して「本当は何がしたいのか?」と自問自答する日々が続いていました。

 

そんな頃、チームにいたブラジル人選手のプレーを見るたびに「本当はこういう選手になりたかったはずだよな」「人々を感動させる選手になりたかったはずだよな」と忘れかけていたサッカーへの純粋な気持ちが出てきました。そして鳥栖での3年目の終わりに「小さい頃から憧れたブラジル人選手のようなプレーヤーになりたい」という気持ちから「ブラジルでプレーしてみたい」という小さい頃に抱いたもうひとつの夢を叶えたいという決意を当時の代理人に伝えました。代理人が南米にパイプを持っていたこともあり、パラグアイの名門スポルティボ・ルケーニョに入団する事ができました。元パラグアイ代表のチラベルトや元日本代表の武田修宏さんが所属していたチームです。しかし入団したものの、中々試合に出れるチャンスがなくトレーニングの日々が続いていた時、かつてサガン鳥栖で一緒にプレーしていたブラジル人選手から「ブラジルで一緒にプレーしないか」と誘いがありました。

 

元々はブラジルでプロになる事が夢で南米に来たので、その誘いを受けてサンパウロ州リーグ1部に所属するCAリネンセに移籍することにしました。しかし、ブラジルでも就労ビザや登録などの手続きに時間が掛かり、試合には出れず練習だけの日々が続きました。しかも無給。当時は家族(奥さんと子供)も一緒にブラジルに来ていたので、貯金を切り崩しながらの苦しい生活が約1年続きましたね。プレーの面では全然やれるレベルでしたが、ブラジルのトップクラスの選手はレベルが違う印象を持ちましたね。自分も技術的には十分通用するレベルだったけど、いざゲームとなるとメンタル的に弱気な部分が出てしまい中々自分のプレーが出せずにいました。そんな弱い自分と向き合いながら迎えた2年目はとにかく試合がしたい。このままでは終れないという思いでした。ここでも登録手続きに時間が掛かりましたが、開幕2戦目から試合に出られることが出来ました。

 

-ブラジルでの2チーム目はどうでしたか?

このチームでは先発だったり、途中から出たりと結構コンスタントに出場することができました。またチームメイトにかつてJリーグでプレーしていたシジクレイが在籍していて、彼は日本語が喋れるのでなにかと自分達家族を気にかけて生活面でも支えてくれましたね。当時の収入は月給約10万円。それでもチーが家や食事を提供してくれるので、生活に困ることはありませんでした。田舎街のチームだったので、家族とスーパーに買物行ったり公園を散歩するのが唯一の娯楽でした(笑)結局そのチームでは州リーグが終了する2012 年6月までプレーしました。チームからも13年シーズンの契約の意向を伝えられていたので、来シーズンに向けて一旦日本へ帰国。

 

帰国後日本のチームでの半年契約を結ぶためにいくつかのJリーグのチームへ練習参加しましたが、結局契約は結べませんでした。そして来年のチーム始動に向けて、東京にある奥さんの実家に居候させてもらい、一人でトレーニングを続けました。とりあえず来シーズンが始まるまでも収入がないのでバイトしながらです。当時、僕は朝5時半に起きて1時間のトレーニング。その後、奥さんにはお昼過ぎまでパートに出てもらって、その間は僕は子供の世話。そして夜は僕が銀座のクラブでボーイのバイト。銀座のクラブで働いたのは、時給の良さもさることながら、日本の中心でお金を持っている人達に興味があったからです。というのも南米での挑戦で持っていたお金を使い果たしてしまった僕はお金について本気で学ぼうと決意していた時でもありました。まずは実際にお金持ちの人たちを研究したい、そんな思いからの行動でした。そんな生活を続けていいる中、来年も所属するはずのチームから「チームの会長が変わったから来年の契約は白紙」と連絡がありました。2012年11月頃ですね。自分の中では、“サッカーは終わった”と思った瞬間です。その後1ヶ月位全くサッカーはせず、今後の人生について考えましたね。けど考えに考えた結果、やっぱりサッカーをやりたいと自分の中で答えが出ました。それから知人の伝手を頼って、トライアウト受けにやって来てのがタイという国でした。

 

-タイに来てからBECに入団するまでは?

タイに来る前に聞かされて話では既に興味を持ってくれてチームがあるので、まずはそこの練習に参加する予定でした。しかしタイに着いたら代理人に「違うチームに行くぞ」と言われ、まず行ったのがチョンブリーFC。そこでは3日間トレーニングに参加しましたが、契約には結びつきませんでした。ただ、タイのトップレベルであるチョンブリーFCでプレーしてみて、意外と手応えを感じることは出来ましたね。その後、一旦バンコクに戻って、ディビジョン1に所属しているBBCU FC(Big Bang Chula United Football Club) のトライアウトに参加。ゲーム形式のトライアウトに3日間参加した結果、チームは契約の意向を伝えて来ましたが、当時の代理人から「タイプレミアリーグのチームに挑戦しないかと?」言われ、自分的には契約出来れば(当時は無職だったので)チームはどこでもよかったので迷ったけど、ここまで来たら挑戦しようと腹をくくってタイプレミアリーグに所属するBEC Teroでのトライアウトを受けることにしました。その時点でBBCUの話はほぼ無くなったので賭けですよね。そしてBEC Teroでのトライアウトの最終日にタイプレミアリーグに所属するチームとの試合に出場して、3得点1アシスト。試合の後、GMが直接話しに来て「契約したいと」伝えられ、さらに「そのままチームに残ってくれ」と言われました。一旦日本に帰るつもりで飛行機のチケットも取ってましたけど、キャンセルしそのままチームに合流しました。今振り返ると、BBCUとの契約が決まりかけていて、BEC Teroのトライアウトを受けることにリスクはありましたけど、チャレンジしてよかったと思ってます。

 

-そのまま開幕を迎えたのですね?初めてタイでのシーズンはいかがでした?

チームに残ってそのまま2013年シーズンが始まり、試合にもコンスタントに出場することが出来ました。そこそこ活躍することが出来て、その年のTPLのオールスターチームにも選出されて、チェルシーとの試合にも出場しました。タイでの初めてのシーズンでしたけど、サッカーが出来る喜びの大きさがタイでプレーすることの苦労に勝ってましたね。練習に行って、一緒に練習する相手がいて、試合があって、給料がもらえて、プロ選手としてまたサッカーが出来る喜びが本当に大きかったです。2013年シーズンは(最後は怪我はあったが)充実したシーズンが過ごせたと思ってます。東京で一人で練習していた銀座でバイトしていた頃とは天と地の差ですね(笑)。

 

-それでもタイの環境 クラブ組織ならではの難しさはありましたか?

母体の会社(BEC-TERO Entertainment Public Co - タイのエンターテイメント会社)がしっかりしているので、選手へのサポート体制も充実しています。ビザの手続などもサポートしてくれるので問題は特にありませんね。チームでは、現在の監督はブラジル人なのでポルトガル語でコミュニケーションし、またタイ人とは英語でうまくコミュニケーション出来てると思います。またタイ人選手も個人の技術は結構高いし、身体能力も低くないです。ただ、戦術的な部分では弱いのかなと感じてます。あと規律やプロ意識という意味では、日本人の感覚からすると低いです。しか代表に絡んでる選手は意識高くやってますね。

 

-その中でご自身は外国人選手としてどう行動してますか?

タイ人に自分の考えや要求を押し付けはうまくはいかない。結果、イライラするだけだってことを去年学びました。そこは割りきって自分のプレーに集中しています。イライラしてる時は集中してない証拠。自分が得点を取ること勝たせればいいんだと考えるようになった。プレーや行動で見せると周りの反応や状況も自然と変わっていきます。

 

-今シーズンから岩政選手が入りましたがチームへの影響は?

守備の安定感は格段に高まりました。それだけでなく意識の高い選手が一人入ると周りも変わります。何もせずにチームに馴染もうとするよりも衝突をしたとしてもチームやタイという国に何かを残せればという大樹さんの覚悟や想いが周りの選手たちにも伝わってきたのだと思います。その結果タイの若手選手たちも意識が高まって代表に定着しつつありますし、チーム全体にいい影響を与えています。今年のBEC Teroが好調である一つの要因が岩政大樹であることに間違いありません。ワールドカップ経験者という肩書きだけでなく実際にグランドで見せるプレーや私生活での姿勢やいろいろな話の中でタイ人選手だけでなく、僕自身毎日勉強させてもらっています。

 

―日本人選手にとってタイでプレーする意義はどの辺にあるとお考えですか?

選手ひとりひとりで違うのかなとは思います。お金のため、夢のため、いろいろある。お金の為じゃないという選手もいるけど、それはたぶん嘘。自分は本当にお金がなくなった経験してるから。ただ目的もなく、なんとなくの流れでタイリーグに来ても失敗します。お金が目的なら本気で稼ぎに来ないと。またJリーグでダメだったから、なんとなくお金もいいタイでやろうかみたいなぬるい気持ちで成功するほど甘くはないと思います。

 

―今後の目標は?

前は日本代表、ヨーロッパでプレーって言ってましたけど、今は一人の選手として観てくれるお客さんを喜ばせるがどうかを追求したいです。それは自分にとっては得点すること。自分が得点することでチームが勝ち、自分の給料も上がる。そのことで家族も喜び。また勝利することでチームスタッフみんな喜ぶ、サポーターも、その家族も喜ぶ。そんな風に想像すると、どっかに移籍することよりは、まずは自分がこのチームで得点して良いプレー見せることにこだわる選手でいたい。結果、チームの勝利、ACL、トヨタカップ出場につながればいいと思います。

 

―南米、アジアと海外経験は豊富ですが、日本のいる若い人達へメッセージをお願します?

海外に出ると物の見方が変わります。要は絶対っていうことがないです。そういう考えになると、「本当の世界はどうなんだろうか?」という思いからなんでも自分で行動するようになります。僕もそうでしたが、日本にいるとテレビやネットであらゆる情報が取れるからなんでも知っている気になってしまいます。しかし自分で行動するようになっていく過程で、自分の中の常識が変わって、そして付き合う人も変わってきます。今の日本にいる若い人たちにとって今の時代はとても苦しいものだと思います。多くの人が若い人に向かって「夢を持て」と言いますけど、夢を持てと言われても日本の大人たちを見て若い人や子供達は夢を持てるのかどうか疑問です。実際僕自身本当にサッカーがしたかったのか?疑問に思ったこともありました。ただ周りの期待に乗せられてやってきたのかと考えたりしました。それでも必死サッカーを続けて、必死にもがいてここまでやってきた自負はありましす。とはいえ、夢を持つというのは簡単なことではありません。でもだからこそ若い人には夢を持ってもらいたいという気持ちがあります。偉そうなことは言えないですが、人に威張れることでなくても何か単純なことでもそれを実行することで誰かを笑顔にしたり喜ばせたりすることができる大人を目指すのもいいかもしれませんね。自分にとってはそれがボールを蹴るということです。自分がボールを蹴っている姿を見て何かを感じてくれて、何か夢を持ってくれるきっかけとかメッセージになってくれたらいいかなと思っています。

<了>

Text & Photo: ASEAN FOOTBALL Link

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小倉 敦夫 日本化を進めるタイ・プレミアリーグのチョンブリーFC。クラブの日本化はピッチ内だけでなく、ピッチの外でもこの男によって進められている。

 

 

<参照>

下地奨オフィシャルブログ


 


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