2014-09-13

<プロフィール>
猿田 浩得 / Saruta Hironori
Singhtarua F.C.(タイプレミアリーグ)


拓殖大学を卒業後、2005年に愛媛FC(当時JFL)に入団。2シーズンプレーした後、YKK AP(現カターレ富山*当時はJFL所属)へ移籍。翌年、シンガポールSリーグのバレスティア・カルサFCへ入団。2009年シーズンより、タイプレミアリーグのシラチャーFCでタイでのキャリアをスタート。翌年、活躍が認められ、バンコクグラスFCへ移籍。中心選手として4シーズンプレー。2011年前期シーズンはリーグベストイレブン受賞。2014年シーズンよりシンタールアFCに在籍。

現在タイプレミアリーグ シンタールアFCでプレーする猿田浩得。間違いなくタイで日本人の地位を上げた選手の一人。今まであまり語られることのなかったタイに来るまでの事、また4シーズンプレーしたバンコクグラスからシンタールアFCへの移籍の経緯。更には今後の目標について話を聞いた。


-大学から愛媛FCに入団した経緯から教えて頂けますか?

大学時代Jリーグのチームのテストを受けてましたが、どこにも引っかからず、大学の監督から「カテゴリーを下げて探すのもあり」とアドバイスを受け、また監督が愛媛FCのGMと知り合いだったので紹介してもらいテストを受けて入団することが出来ました。

-拓殖大学は東京都リーグ(関東2部リーグの一つ下)でしたが、当時から卒業後はプロでやることを目指してましたか?

いや、そんな事はないです。自分でどうしたいって意思があんまりなくて、監督のアドバイスでテストを受けた感じです。高校の時も大学の時も言われるがままに進路を決めた感じですね。

-誘惑も多い大学生活でモチベーションを保つのは難しいと思うのですが?

チームは東京都リーグだったんですけど、幸い自分は関東選抜に入ることが出来て、それがあって上のレベルでもやる機会があってモチベーションを保つ事が出来てました。あと、純粋に「サッカーが好き」というのが自分を支えていたんだと思います。

―それでは日本でのプロ生活から海外に出るまでの経緯を教えてもらえますか?

日本でプレーしてた時は怪我が多くてあんまりやりきった感がなくて、不完全燃焼ではありました。実はYKK APに移籍する前にシンガポールでプレーしようと思って、現地でプレーしている知り合いから情報はもらってて、言葉や文化の違う国での生活も面白そうだなと興味は持ってました。ただ当時は怪我してて、それにも関わらずYKK  APが拾ってくれたのでそこでプレーすることにしました。YKK  APで1シーズン過ごした後、実はアメリカに行って3ヶ月位掛けてトライアウトを受けにアメリカ中を回ったんですよ。アメリカに行ったのは、ちょうどベッカムがアメリカに移籍した時期で、それで「自分も行きたい」と思って。当然アメリカにはコネも何もなかったので知り合いの伝手を頼ったり、インターネットでトライアウト情報を調べて飛び込みで参加してました。アメリカのチームのトライアウトは、参加費を払えば誰でもトライ出来るので、バスケットのシャツで来る奴や野球のスパイクを履いてる奴に混ざってテストを受けました。マイアミ、ニューヨーク、ヒューストンにあるチームを受けたんですけど殆ど興味を持ってもらえず。唯一、クリーブランド(オハイオ州)というチームは興味を持ってくて一週間位練習に参加したんですけど、契約までには至らず、また当時持っていた貯金も使い果たしてしまってとりあえず日本に帰国しました。

そのタイミングで瀬戸春樹さんという当時シンガポールでプレーしていた方から、「シンガポールSリーグのバレスティア・カルサFCというチームがフォワードの選手を探してる」と聞いて、「すぐ行きます」と返事をしてシンガポールへ飛びました。そこではトライアウトを兼ねた練習に約1週間参加。そして無事契約出来ました。契約の条件面は日本のJFLと同じ位でしたけど、住居費が高いのでルームシェアして暮らしてました。シンガポールでは約半年プレー。ただチームは最下位で自分自身もあまり得点という結果が出せませんでした。チームとはもう半年契約延長出来たんですけど、モチベーションを保つのも難しかったし、また半年でいろんなコネクションも出来て、その中のひとつからベトナムのチームの話が来たのでトライすることにしました。シンガポール人の紹介で行ったんですけど、いざ現地に着いたらベトナムのチーム側に話しが通ってなくて、自分でチームに電話して説明したら、「とりあえず来い」と言ってもらって行ったんですけど、トーナメント期間中で練習にもまともに参加出来ない状況でした。チームには同行してたんですけど、その時はベトナムには観光ビザで2週間しか居れないことを知らなくて、ちょうどトーナメントが終った日でビザが切れることを知ってチームには「また戻って来る」と伝えて一旦帰りました。

しかしそれと同じタイミングでタイの話しが来ました。ベトナムも面白かったんですけど、チームの寮に住まないといけなくて、当時は独身だったんですけど、今の妻が次に国には付いて行きたいと言ってたので、タイを考えることにしました。

-タイの情報収集はどうやって?

知り合いのフリーのライターの方から、あと当時タイでプレーしていた末岡龍二さん(現在はインドでプレー)からタイの情報をもらってました。またちょうど丸山良明さんがチョンブリーFCと契約した時期で、丸山さんをお世話していた人からシラチャーFCも日本人選手を探していると聞きました。それでシラチャーFCの練習にトライアウトを兼ねて1週間参加。シーズン開幕直前でした。練習参加後、無事契約は出来たんですけど、当時はちゃんとした契約書もなくて、書類にサインしたのは入団から半年後。口頭で「給料はこれだけね」と伝えられて、一応ちゃんと給料は支払われてましたけど、もし活躍出来てなかったら貰えてなかったもしまれせんね。当時タイでプレーしていた日本人は4人です。僕と丸山さん、末岡さん、あと木場昌雄さんです。タイプレミアリーグもちょうど盛り上がりはじめた頃でお客さんも多かったです。シンガポールと比べても盛り上がっている印象は受けました


―タイで初めてプレーしてみてどうでした?

印象はタイ人の技術は高いなと。タイのサッカーやチームにはすんなり馴染めたんですけど、シンガポールでの経験があったからですかね。シンガポールでは日本から来たプライドもあって、監督やチームメイトともよく喧嘩してたんですけど、タイでは郷に入れば郷に従えで、周りが時間にルーズでもあんまり気にならなかった。もしシンガポールの経験がなかったらまた違ってたかもしれませんね。試合にもコンスタントに出ましたし、チームも若かったんですけどポテンシャルの高い選手が多く、実際当時のメンバーが今ではタイ代表で活躍してますし、リーグの上位チームにも勝ってました。それで僕も他のチームの目に留まって次の年に引っ張ってもらうことが出来ました。

-タイ一年目からうまく馴染めたんですね。プレー中もイライラすることはなかったですか?

僕の場合は昔からそうですけど、楽しくプレーすることを心がけているので、まぁタイ人気質が合っているのかもしれませんね。楽しくサバイサバイでプレーしています。

-2010年シーズンからバンコクグラスFC。これは引き抜かれたんですよね?

そうですね、運よく幾つかのチームから声が掛かったんですけどバンコクグラスが一番熱心に誘ってくれました。ただシラチャーという地区は日本人が多く住んでいて、みんなが応援してくれてたので、他のチームには行きたくなくてすごく悩みました。初めてこんなに悩んだってくらいです。それでも応援してくれてた日本人の方達が上のチームでプレーすることを後押ししてくれたので移籍を決意しました。

 

<次号に続く>



 

Text & Photo: ASEAN FOOTBALL Link

 

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