2015-03-21

<プロフィール>
本田 慎之介 / Honda Shinnosuke
CREER FC コーチ & エージェント

2009年、福島県立富岡高校卒業後、Jリーグジュビロ磐田に入団。2012年にタイプレミアリーグのブリーラム・ユナイテッドへ移籍。その後、同じくタイのバンコクグラスFCへの移籍を経て、インドの強豪デンポSCへ加入。2013年に現役引退後は、サッカースクールコーチと選手エージェントとして活動。

Jリーグ・ジュビロ磐田からタイリーグに移籍し、その後、インドリーグに渡って一昨シーズンに現役を引退した本田慎之介氏。現在はバンコクを拠点に、サッカースクールのコーチ兼エージェントとしてセカンドキャリアをスタートさせている。Jリーグ、タイ、インドと若くして多くの経験をした現役生活と、動き始めたセカンドキャリアについて語ってもらった。

 
-現役を引退して1年が経ちましたが、この一年、サッカー選手ではない生活はどうでしたか?

すべて勉強という感じです。選手の時は周りの方が許してくれていたことでも今は自分からやらなければいけないということもたくさんあるので、いろいろと勉強させてもらっています。
 
-今はどんな生活を?

バンコクの日本人を対象にしたサッカースクール「CREER FC(クレールFC)」でコーチをしながら、そこの運営会社に所属する形でエージェントの仕事もやらせもらっています。火曜日から日曜日までは基本的にはスクールの仕事があって、その合間にエージェントとしての活動も行っています。
 
-なかなか忙しそうですね。

そうですね、ありがたいです。
 
-ジュビロ磐田からタイリーグへ移籍して2年間、そこからインドリーグへ移籍して半年ほどで引退となりました。引退を決断した理由は?

最終的には、高校時代から痛めていたアキレス腱の怪我が悪化してしまって。注射もできない場所で、骨を削っても炎症が収まるかわからないという状況だったんです。日本ではプレーできる程度だったので無理してしまっていたのが、タイに来て少し悪化して、インドに行ったタイミングでそういう状態になってしまったということです。走り方もおかしいと言われるくらいで、まともにプレーできる状況ではなくなっていました。
 
-では、インドでは試合にもあまり出ていなかった?

半年間で9試合くらいでした。ある程度は出ていましたが、最後は契約を解除される形でした。1年契約でしたが、半年で契約解除もできるという条項が盛り込まれていたようです。
 
-タイからインドへ移籍する際には、いろいろな選択肢の中からインドを選んだのですか?

タイのディビジョン1(2部リーグ)やディビジョン2(3部リーグ)のクラブからの話もありましたが、待遇面でインドの話が一番よかったんです。月給で7千ドルとタイ・プレミアリーグと変わらないレベルで、評価されれば2年目は2倍以上になることもあるという資金力のあるクラブだったので。インドで長くやって稼いでやろう、という気持ちで移籍を決めました。
 
-インドで所属したデンポSCは、特に資金力のあるクラブなのですか?

一番ではありません。インドの中で4番目くらいの資金力だと思います。ただ、運営のシステムがしっかりしているので、支払いが遅れるようなことはないですし、契約書を守らないこともないクラブでしたね。
 
-タイでいうと、ちょうどバンコク・グラスFCのような存在でしょうか。

そうですね、そんな感じです。
 
-実際、インドリーグを戦ってみての印象はどうでしたか?

あの暑い中で昼の3時とか、早い時は2時半とかにキックオフしたりするのがきつかったですね。1部リーグなんですけど、スタジアムに照明がなかったので。
 
-タイリーグと比べても、環境面でかなり劣るという話はよく耳にします。

そうですね、インフラ面も差がありますし。国が大きいので、地図で見るとすぐ近くに見えても実際にはすごく遠かったり、タイと比べると環境の面ではいろいろと厳しいところがありました。正直、バンコクに戻ってきた時にホッとしたのを覚えています。
 
-レベルに関してはどう感じましたか?

タイで言えばディビジョン1くらいのレベルじゃないかと思います。僕のイメージとしては、Jリーグでは1チームに25人の選手がいればそのうち20人はいい選手、それがタイの場合はいい選手が10人で、インドは5人というような感じです。なので、タイの場合はその穴を外国人で埋めればスタメンは問題ないですが、インドではそれでも穴ができてしまうという印象でした。
 
-個々の技術やプレースタイルについてはどんな印象でしたか?

センターバックなんかはかなり大きい選手もいましたし、サイドの選手はガンガン仕掛けて、フォワードは体を張ってねじ込む。タイのトップクラスとやったら間違いなく負けると思いますが、直線的でパワーがあるイメージでしたね。
 
-日本、タイ、インドと異なる環境でプロとしてプレーしたわけですが、23歳という若さでの引退には迷いはありませんでしたか?

プロになりたくてもなれない選手や、やりたくてもどうしてもできないような怪我をしてしまった選手に対しては申し訳ないことだとも思いましたが、自分のやりたいことも踏まえて考えた結果、引退することを決めました。やりたいことが見えてやめられるというのは、それはそれでありがたいことだと思いましたし、「ここがチャンスだな」と前向きになれたんです。
 
-「やりたいこと」というのは、エージェント業ですか?

はい。ジュビロにいる時に「ヨーロッパに移籍できる」というエージェントの話に飛びついてしまって、それは結局実現しなかったんですが、その時に別のエージェントから連絡をもらってタイリーグに移籍することができた。このままサッカーをやめることになるのかもしれないとも思っていたところで、ブリーラム・ユナイテッドというタイのチャンピオンチームに入ることができて、結果的には待遇も日本時代よりいいものだったんです。その時に、エージェントの仕事の大きさというのを実感しました。
 
-それで、いずれ自分もエージェントになりたい、と。

そうですね。その後も海外でいろんなものを見せてもらって、勉強できた中でそう思うようになりました。引退した時には、一度日本へ戻ってアルバイトをしながらでもエージェントになる準備をしようと思っていたんですが、バンコクでスクールのコーチをしながらエージェント業もさせてもらえるという話をいただいたので、バンコクに残ってやらせてもらっています。
 
-まずはやはり、タイと日本をつなぐというのがメインになるんでしょうか。

そうですね。
 
-1年やってみて、手応えはどうですか?

Jリーガーとタイのクラブ、タイ人選手とJリーグクラブと、それぞれに契約に向けて話が進んでいたものがいくつかありましたが、チームの体制が変わって話がなくなったり急遽別の選手が入ってきたりして契約には至らなかったものが多くありました。準備が足りなかったと感じた面もありますし、勉強になった一年でした。
 
-タイの選手をJリーグクラブに、というのも視野に入っているわけですね?

もちろんです。結果的には契約には至らなかったんですが、このオフもタイ代表クラスの選手とJリーグクラブの間で本当に契約目前まで行った話がありました。タイには本当にいい選手がいますから、続けてトライしていきたいと思っています。
 
Jリーグとタイリーグでともにプレー経験があるのは、エージェントしても強みになりそうですね。

シーズン中に選手が迷うことも必ずあるので、エージェントには指導者のような資質も必要だと思いますし、いろんな視点が求められる仕事だと思っています。僕が海外に出て、いいものも悪いものもいろいろと見させてもらったことはこれから生かせるんじゃないかと思っています。
 
-海外に出たことでのメリットも多かった、と。
 
引退して初めて、これまで所属したクラブに感謝することができるようになったんです。ジュビロはもちろんですし、タイのブリーラム、バンコク・グラス、インドのデンポにも感謝しています。引退して古巣のジュビロに挨拶に行かせてもらった時に、「変わった」と言われたんです。それは間違いなく海外に出たからだと思いますし、いろいろなストレスや不満もありましたけど、今は本当にこれまでのサッカー環境に対してありがたいものだったと感じています。
 
-最後に今後のビジョンを教えてください。

いずれは日本にオフィスを出したいと思っていますが、まずはバンコクを拠点に頑張りたいと思います。バンコクにいればヨーロッパからも韓国からもブラジルからも情報が入ってきますし、環境は恵まれているので。これまでを振り返ると、僕は3年周期で環境が変わっているんです。高校の3年間、ジュビロの3年間、海外に出て選手として3年間。次の3年は何があるのかと考えた時に、成長のない3年間にはしたくないので、結果を求めて頑張っていきたいと思います。

 

<了>

Text & Photo: 本多 辰成 

 

<関連記事>




関連記事