2015-05-01

<プロフィール>
滝 雅美 / Taki Masami
THAI HONDA FC (タイ Division-1)

FC琉球ユースの監督を務めた後、2009年にタイホンダの監督に就任。タイにおける初の日本人監督となる。2010年に一旦タイを離れるが、14年シーズンよりタイホンダの監督に復帰し、この年にタイホンダをDivision-1昇格へ導く。15年シーズンもタイホンダの監督してDivision-1を戦う。

タイ・ディビジョン1(2部リーグ)のタイ・ホンダFCで監督を務める滝雅美。2009年にタイリーグ史上初の日本人監督として同クラブを率いたあと、一旦チームを離れ、昨季再び監督に復帰すると、最終戦での劇的な勝利でチームを昇格に導いた。結果だけを見れば順調にも見えるが、「初の日本人監督」のタイでの歩みは苦労の連続だった。
 

-最初、どういう経緯でタイリーグで監督をすることになったのですか?

知人のつながりで話があったんです。日本ではFC琉球のユースの監督をしていたんですが、いろいろと問題があって辞めたところで。ちょうど職がない状態だったので、話だけでも聞いてみようということでタイに来たのが最初でした。そうしたら、「明日からやってほしい」ということになったんです。
 
-それが2009年のことですね?

2009年の1月ですね。その時、タイ・ホンダはディビジョン2(3部リーグ)降格が決まっていたんですが、リーマンショックの影響でバンコク・バンクFCというチームが消滅して、その枠を4チームのトーナメントで争うことになったんです。「その試合が来週あるから頼む」ということで指揮することになり、2試合ともギリギリで勝つことができてディビジョン1(2部リーグ)残留となったんです。そこから本格的にタイでの生活が始まりました。
 
-急な展開だったのですね。最初、チームにはどんな印象を持ちましたか?

やればできるんだろうというポテンシャルは感じましたが、仕事でサッカーをしているというふうには見えなかったですね。まず走れないし、何の規律もないという状況でした。当時は従業員選手が多くて、全部で35人くらいはいたんですが、練習に来るのは日によって入れ替わりで17~18人くらい。「今日は俺は行かない」とか「今日はバイトがあるから」とか、そういうノリだったと思います。
 
-そういう状況のチームを、どのように変えていったのですか?

やる以上はもう少ししっかりやろう、ということで状況を変えようとしたんですが、なかなか理解してもらえませんでしたね。「まずは100%出して出来る限りやろう」というのは僕らの感覚で、彼らも同じというわけではないんだなと。試合の時は頑張るんですが、練習を頑張ろうというのは理解してもらえない、という感じでした。
 
-思うようにチーム作りは進まなかったわけですね。

実は、それ以前にいろいろな問題があったんです。日本人の社長が当時のタイ人のGMを通さずに僕と契約をしてしまっていたようで、GMとしては面白くなかったのか自分で新しいタイ人の監督を連れてきて、突然「一緒にやってくれ」と。僕に対するいろんな嫌がらせのようなこともあって、大変だったんです。そんな状況の中でも開幕7試合無敗と最初は好調だったんですが、チームのゴタゴタはずっと続いていて最終的には16チーム中11位という結果でした。
 

-大変な状況があったのですね。でも、次のシーズンも監督を続けられていますよね?

このままでは日本に帰れないからもう一年やって責任を取らせてくれ、とわがままを言って。2年目はU19タイ代表の若い選手を7人獲って、もともとの主力と競わせたんです。新しい戦術の抵抗感もあって最初はうまくいかなかったんですが、やっぱり若い選手の方が吸収するのが早いんです。開幕から2カ月くらいで初勝利してからは、ほとんど負けなくなりました。
ただ、そこでまたタイ人のコーチたちが出てきて、「もう監督は必要ない、自分たちでやりたい」となってしまって。またトラブルが多くなったんです。それで社長からも「何かあってからでは遅いから、申し訳ないけど帰ってくれないか」と言われてしまって。2年目の前期が終わったところで日本に帰ったんです。それで「第一章」は終わりでした。

-なんともすごいお話ですね…。そして昨季、再び監督としてチームに戻ってきたわけですが、どんな展開があったのですか?
 
チームは僕が帰ったあとはずっと勝てない状態になって、その年は最終的に9位か10位。その次の2011年シーズンは年間3勝くらいしかできなくて、ディビジョン2に降格してしまいました。日本に帰って半年くらいした頃から「戻ってきてほしい」という連絡はもらっていたんですが、僕としては「どうして尻拭いをしなければいけないんだ」という気持ちもありましたし、戻っても同じ状況なら意味がないですからずっと断っていました。
 
それでも、半年おきくらいにずっと連絡は来ていて。それで「この条件を全てクリアできるなら戻ります」というものを提示したんです。練習場の整備についてなど、とにかくたくさん出しました。その条件を社長が全てOKしてくれて、最終的には日本人のマネージャーからも連絡をもらって「大丈夫だな」と感じたので戻ってきました。
 
-それが2014年シーズンの開幕前の時期ですね?
 
2013年の11月くらいにはもう来ていましたね。そうしたら、また別のタイ人監督がいたんです。また「二人でやってくれ」という話だったので、「話が違うから帰ります」と。それでようやく、僕が一人で監督を務めることになったという感じでした。
 
復帰の条件として出していたグラウンドの整備なども、予想はしていましたが、順調には進みませんでした。なので、コーチとマネージャーに日本人を入れて、そういうマネージメントの部分も含めて僕の仕事になっています。
 
-「第二章」もなかなか大変なスタートだったのですね。それでも、昨季は最終戦ロスタイムの得点で昇格を決めるという劇的な形で、目標であるディビジョン1復帰を果たしました。
 
表向きはディビジョン1に昇格して、良く見えると思いますけど、実情は大変なことばかりでした。長期的なビジョンで考えながらも、いつ日本に帰ることになるかわかりませんから、いつでも荷物をまとめる準備はしているという感じです。
 
ただ、去年の最後の試合に関しては、根拠はないんですけど、同点にされた時もそのまま終わるとは思えなくて。不思議な感じなんですが、「タイ・ホンダはディビジョン1に上がれる」と暗示にかかっているみたいだったんです。だから終わっても感動して喜ぶという感じではなくて、「やっと終わった、帰ろう」という感じで。そうしたらみんなが喜んだり泣いたりしていて、それはそれでグッときたんですが。
 
-タイ・ホンダの会社としても、これからまたサッカーを看板にしていきたいという思いが強いのでしょうか。
 
現状は日本の企業スポーツの理念と同じで、まずは従業員が楽しめるコンテンツという感じですね。「企業クラブからの脱却」ということをこちらが掲げてしまってはダメだと思うんです。このままではタイ・プレミアリーグ(1部リーグ)で勝つことはできない、「じゃあ、どうすればいい?」という空気が自然に起きてくれば一番いいんですが。
 
あとは、企業スポーツとしても地域貢献は大事なことですし、監督復帰の条件の一つでもあったんですがアカデミーの設立も今動き始めています。これからタイもワールドカップが近づいてくると思いますし、目標としては、タイ・ホンダFCのアカデミーから将来の代表選手を育てられればと思っています。
 
-最初に来た当時からすれば、やはり選手の意識なども大きく変わってきていますか?
 
時間に対するルーズさなどは、今はほとんどないですね。最初の監督時代には、練習が4時開始予定でも選手たちは4時か4時10分くらいに来て4時半に始まる、という感じだったんです。「どうして4時に始まらないのか」と問い質しても、当時は「4時でも4時半でも一緒でしょ? なんで怒ってるの?」という感じで。「4時と4時半は30分違う、練習が4時に始まるなら3時半には来なさい」ということを徹底したんです。それが継続されていたようで、その面は今回は最初から問題ありませんでした。
 

-今季はディビジョン1での戦いですが、どういうシーズンにしたいですか?
 
もちろん昇格を目指しますが、今度ディビジョン2に降格したらチーム解散の危機というのも考えられるので、少なくとも残留させて組織を安定させるというのが一番重要なことだと思っています。

<了>

Text & Photo: 本多 辰成, THAIHONDA FC




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