2015-05-24


<プロフィール>
小島 聖矢 / Kojima Seiya
Ayutthaya F.C. (タイ Division-1)

流経大柏高で全国制覇後、流通経済大学へ進学。2012年、大学卒業後、タイ Division-1のSriracha F.C.へ入団。2014年シーズンより、同じくタイ Division-1のAyutthaya Football Clubでプレー。

千葉・流経大柏高では大前元紀(清水エスパルス)らを擁したスター軍団の一員として全国制覇を経験した小島聖矢。大学卒業と同時にタイリーグに挑戦して、今季で4シーズン目を迎えている。Jリーグに進むことなく直接海外でのプレーを選択したのにはどんな思いがあったのか。タイリーグでのこれまでを振り返ってもらいながら、今後の目標などについても聞いた。
 

-大卒で直接タイリーグに来ていますが、どういう経緯だったのですか?

きっかけは大学のスタッフの方の知り合いがタイにいて、その方に紹介してもらう形で来ました。
 
-大学を卒業して、すぐ海外でプレーしようと?

やっぱりJリーグでやりたかったんですが、当時大学のトップチームで試合に出ていなかったので、大学の監督に相談しても「行けたとしてもJ2の下のほうかJFL、もしくはJリーグを目指しているチーム」ということで。ちょっとJ2の下のほうに行くのは自分の中で疑問がありましたし、それまで高校も大学もエスカレーターでやってきて甘えもあったと思うので、それなら海外に出て自分を厳しい状況に置いてみたいと思ったんです。
 
-1年目は当時ディビジョン1(2部)のシラチャーFCでのプレーでしたが、すんなりと入団に至ったのですか?

いくつか練習参加させてもらったんですが、最初はチョンブリーFCに行くことができて。そこで当時チョンブリーFCでGKコーチをされていた加藤好男さんなどにいろいろとアドバイスをいただいて、それがその後に生きたと思います。
 
-どんなアドバイスでしたか?

タイ人選手ともコミュニケーションをとったほうがいいとか、タイではあまり気を使える選手が少ないから気を使って周りを生かすプレーを心がけたほうがいいとか、いろいろタイで認められるためのアドバイスをいただきました。それがある程度頭に入っていたので、すんなり行けたというのはあったと思います。
 
-シラチャーFCでの契約に関して、待遇は納得のいくものでしたか?

1年目はやっぱり全然納得できる待遇ではなかったですね。自分の同級生は8人くらいJリーグに行っていて、彼らの話を聞いてもかなり差がありましたから。
 
-高校時代は流経大柏高で全国制覇、チームメイトには大前元紀選手などがいるすごいチームでした。やはり今でも彼らの存在は大きいですか?

大きいですね。お互いに刺激し合いながら高めあっていくという形で、良きライバルです。常に彼らのJリーグの試合結果はチェックしていますし、刺激になっています。
 
-いずれは日本に戻って彼らと同じ舞台で戦いたいという思いがありますか?

その気持ちはありますね。自分はまだ無名選手ですけど、今思い描いているのはタイで結果を残してJリーグに戻って、少しでもいろんな人たちに知ってもらえたらと。大卒でタイに来たのは自分が初めてくらいだと聞いたんですが、もしタイからJリーグに逆輸入というのが実現できれば、直接Jリーグに入れない大学生にも夢が与えられるかなと。そのためにはプレミアリーグ(1部)でプレーしたいというのが1年目からの目標なんですが、まだディビジョン1にいるので納得はできていません。
 
-タイでの1年目、シラチャーFCでのシーズンはどんなものでしたか?

1年目は東風(淳)さんがチームメイトにいたので、いろいろとお世話になりました。日本人選手がいたのは大きかったですね。シラチャーの町も日本人が多くて住みやすかったですし、逆に言えば、あまり海外という感じはしなくて自分が思い描いていたものとは違う環境でした。
 
-サッカーの面でもすぐにとけ込めたという感じですか?

そうですね。確か1試合出場停止がありましたけど、それ以外は全試合出場することができましたし。9得点9アシストという結果も出せましたし、監督が信頼して使い続けてくれたのは本当に感謝しています。
 
-順調なスタートを切った中で、2年目からはいろいろとチームに問題が起きたりもしましたよね?

そうですね。シラチャーFCで財政面の問題が起きて、選手も監督も3ヶ月くらい給料未払の状態になって。選手たちは「とりあえず頑張ろう」とやっていたんですけど、やっぱりモチベーション的に厳しいですよね。
 
-海外の厳しさを体感したという感じでしょうか。

結局、給料も支払われないままになって、その時はすごく落ち込みました。タイに来るきっかけを作ってくれた大学のスタッフの方にも相談したりして、「本当に厳しかったら弁護士とか紹介するけど、それが海外だぞ」と励ましてもらって。その人の存在は大きかったですね。
 

-日本に帰りたいとは思いませんでしたか?

帰りたいとは思いませんでした。もし日本でプレーしていたらたぶん「働きながら」だったと思いますし、タイでプレーできていることには感謝していたので。
 
-それで、シーズン途中にチームを移らざるを得ない状況になったのですね?

はい、それでサイアム・ネイビー(当時ディビジョン1)に移籍しました。
 
-シラチャーとは環境もずいぶん違ったんじゃないですか?

そうですね、すごい田舎だったので。毎日二部練で朝7時くらいから練習していたんですけど、周りには何もないのでグラウンドと家を行き来するだけの毎日でした。たぶん、試合に出ていなかったらメンタル的にかなり厳しかったんじゃないかと思いますけど、ネイビーでもある程度、結果を出すことができたのでよかったです。
 
-日本人にとっては住みやすいシラチャーでのステップがあって、ちょうどよかったのかもしれませんね。

シラチャーである程度、タイで生活する土台ができていたのでよかったと思います。それで、ネイビーではほとんどタイ語と英語しか使わない環境になって、そこで言葉も上達した感じでした。
 
-そして昨シーズンは、同じくディビジョン1のアユタヤーFCへ移籍しました。これはどういう形での移籍だったのですか?

アユタヤーFCからオファーをもらって。その時、ネイビーは下位でアユタヤーは7位か8位くらいでしたし、そのままプレミアに上がれるチャンスだとも思ったので。ファンも熱くて勢いのあるチームだということで、魅力を感じて移籍することに決めました。
 

-アユタヤーFCではシーズン途中から日本人の杉山弘一監督(現・柏レイソルコーチ)が就任しました。その後すぐ、チームは上昇気流に乗りましたよね?

杉山さんが来て、チームの雰囲気が本当によくなったんです。タイ人の選手たちもすごく支持していて、今でも「戻って来てほしい」という声があるくらいです。
 
-どういうタイプの監督さんでしたか?

まずは明るい方で、文句はほぼ言わないし、ほとんど怒ることもありませんでした。とにかく、いいプレーに対してだけ褒める。でも、本当に嫌いなプレーをした時だけすごく怒るんです。選手たちも監督が望んでいるプレーがわかりやすくて、やりやすかったと思います。
 
杉山さんの考え方は全部自分たちありきで、自分たちがこうすれば相手はこうなる、というものなんです。基本的にはグアルディオラのサッカーを目指していて、見せる映像も対戦相手のものではなくてバルサやバイエルンのものでした。たとえば、バルサの「スペースでボールを受ける動き」とかをスローで見せる。それはいつも練習でやっていることなので、「こういうことか」とピンと来るんです。とにかく、すごくわかりやすかったですね。
 

-それがすぐに結果に表れたんですね。

どことやっても自分たちがポゼッションできましたし、優勝したナコンラーチャシーマーFC相手にも8割がた自分たちのゲームができたという感覚がありました。監督がコンバートした選手もそのポジションで活躍したりして、とにかく全てが上向きになったという感じでした。
 
-今季は監督は交代しましたが、アユタヤーFCで2年目のシーズンを送っています。個人的にはどんなシーズンにしたいですか?

オフに結婚もしたので、奥さんと生まれてくる子供のためにも来年につながるようなシーズンにしたいです。去年は1ゴールも決められていないので、今年は数字に残る結果を出してチームの勝利に貢献できる選手になりたいと思います。
 
-タイに来てよかったと感じていますか?

それは、よかったと思います。日本にいた時は波があったんですけど、タイに来ていろいろあってメンタル的にも成長したと思いますし。Jリーグでプレーするためには、最低でも来年か再来年にはプレミアでやらないといけないと思っているので、結果にこだわって実現できるように頑張りたいと思います。
 
 


<了>

Text & Photo: 本多 辰成Ayutthaya Football Club




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