2015-06-19

<プロフィール>
吉田 康幸 / Yoshida Yasuyuki
Cambodian Tiger Football Club(カンボジア)

日本、オーストラリアでプレーした後、なでしこリーグのスペランツァFC大阪高槻のGKコーチに就任。2013年カンボジアに渡り、ポリス・コミッサリーに選手兼コーチとして加入。その後アルビレックス新潟プレンペンを経て現在はカンボジアタイガーFCの選手兼GKコーチとして活躍。

カンボジアリーグ史上、2人目の日本人選手として2013年からカンボジアでプレーしてきたGKの吉田康幸。現在は、今季から新たにカンボジアリーグに参戦するカンボジアンタイガーFCで選手兼GKコーチを務める。カンボジアでプロとしてプレーすることになった経緯や、今まさに成長が始まろうとしているカンボジアリーグの現状などについて聞いた。
 
-経歴を見ると、カンボジアの前はオーストラリアでプレーしていたのですね。

そうですね。知り合いが現地に住んでいたのがきっかけで、ワーキングホリデーを利用してオーストラリアのセミプロチームで1シーズンだけプレーしました。やっぱりJリーグに行けるチャンスというのは限られていますし、ちょうどオーストラリアのシドニーFCにカズ選手(三浦知良/横浜FC)が移籍して注目された時でもあったので。
 
-ワーキングホリデーを利用してオーストラリアでプレーする選手は多いのですか?

その当時はそんなにいませんでしたけど、今は多いですよ。1年間ワーキングホリデーのビザで行って、活躍すれば次の年はビザを更新できるという形です。
 
-そこから、どういった経緯でカンボジアでプレーすることになったのですか?

オーストラリアのあと一度日本に帰ってきて、膝の手術をしているんです。それで2年間くらいプレーはしていなくて、その時は女子サッカーのスペランツァ高槻のコーチをしていました。怪我が治ってからは1年くらい日本の地域リーグでプレーして、そのあとカンボジアに来ました。それも知人がカンボジアに駐在で勤務していたのがきっかけだったんですが、カンボジアでサッカーをしている方を紹介してもらって。
 
膝の手術をした時には一度、サッカーをやめようかとも思っていましたし、話をいただいて「最後にチャンスがあるなら」と挑戦することを決めました。もちろん不安はありましたけど、当時29歳でしたし、行かないと何も始まらないので行くしかなかったという感じでした。
 
-まだカンボジアリーグでプレーする日本人選手はそれほどいなかった時期ですよね?

当時は太田(敬人)選手一人だけで、僕が2人目の日本人選手でした。練習参加をして3日目くらいに、選手兼GKコーチという形で契約させてもらって。2013年、14年と2シーズン、ポリス・コミッサリーというチームでプレーしました。
 
-カンボジアリーグにはどんな印象を持ちましたか?

正直、環境がひどかったですね。チームが練習していたグラウンドは、セービングすれば蟻塚にはまったり、牛の糞が落ちていたのでそれを足で蹴ってどけたり。選手も遅刻するのはもちろんで規律はないですし、最初は「ひどいな」という印象でした。
 
-そういう状況は、この2年で変化してきていますか?

この2シーズンで劇的に変わっているところはあります。レベルもだいぶ上がってきたんじゃないかと感じますし。たぶん、環境的に人工芝のグラウンドが増えているのも大きいと思います。経済が成長している中で、もともとサッカーをする人口が多いのでフットサルなどのビジネスを始めようという流れがあって、僕がプノンペンに来た当初と比べてもコートが相当増えています。前はデコボコのグラウンドで、ボールがはねている中トラップしたりしなければいけなかったのが、今は人工芝で練習できる環境ができてきたのは大きいですね。
 
-まさに今、変化が始まっているのですね。去年、一気に日本人選手も増えましたが、待遇もよくなっているのでしょうか。

待遇はまだいいとは言えませんね。外国人選手でも、ローカルのチームは月400ドルとか500ドルとかですし。ただ、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートできるということで注目が集まっていると思います。23歳、24歳くらいの若い選手が多いです。カンボジアからスタートしてステップアップを狙う選手もいますし、カンボジアが好きになってそのままカンボジアでプレーしたいという選手もいます。
 
-吉田選手もカンボジアは好きですか?

好きですよ。生活費も安いですし、暮らしやすいですから。
 
-カンボジアのクラブとしても日本人選手を求めているんでしょうか。

日本人選手がほしい、と言っていますね。やっぱり上位のクラブは日本人でもアフリカ人でも上手い選手をほしいという感じだと思いますが、中位のクラブとかだと規律を重んじていて、そういう面でも日本人選手がほしいというチームもありますね。
 
-隣国のタイリーグでは今、50名以上の日本人選手がプレーしていますが、カンボジアリーグもそうなっていく可能性はあると思いますか?

経済やリーグの発展次第だと思いますけど、僕はすぐには期待していません。表向きには経済発展していますけど、中身を見れば汚職や裏金などの問題も多いですし、純粋にビジネスで成功しているという人は少ないと思いますから。そういう部分で変わっていくには時間がかかるんじゃないかと思います。
 
親が「サッカー選手を目指しても稼げないからやめなさい」と子供に言うような状況なので、プロサッカー選手を目指せるようなチーム作りをしなければいい選手も出てこないと思いますし、夢も追えない。そういう意味で、現状はまだ厳しいと思います。
 
-代表チームはワールドカップでアジア1次予選を突破して、盛り上がっているのではないですか?

代表は盛り上がっていますね。昔の日本のような感じで、国内リーグは注目されないけど日本代表は盛り上がる、というような状況になっています。リーグもこのチャンスをつかめればいいんですが。
 
-カンボジア人選手にはポテンシャルを感じますか?

上手い選手はいますよ。ただ、現状では日本のレベルではJFLくらいという印象があります。カンボジアの選手は年代によって気質に違いがあって、内戦を経験している30代の選手は気が短いところがあるんです。内戦終結後に育った20代の選手は比較的落ち着いている印象がありますね。
 
-実際、国民の平均年齢が20歳代半ばの国ですもんね。いろんな面でここからリスタート、という感じなんでしょうか

そうですね。現状、学校にも行かずに育ってきた選手も多いので、指導する上でも正直、説明してもなかなか通じないと感じるところもあるんです。
 
-今季はカンボジアンタイガーFCに所属していますが、どういう経緯での移籍だったのですか?

ポリス・コミッサリーに2シーズン所属して、2年間で40試合中33〜34試合に出ることができましたし、コーチとしてもフンセンカップというカップ戦で優勝することができた。それで、3シーズン目は違うチームでプレーしたほうがいいかなと思っていた時に、ちょうどアルビレックス新潟プノンペンに練習参加する機会があって。チームが存続するかしないかという時期だったので、12月に練習参加して2月に契約したんですが、結局、3月20日くらいになって「やっぱり解散する」ということになったんです。
 
-その時はどんな思いでしたか?

だいぶ焦りましたね。サッカーをやめようかとも考えましたし、続けるのであれば日本なのか、また違う国なのかとかいろいろと考えました。そこで、カンボジアンタイガーFCから、当初はコーチとして来てほしいということで話がありました。自分としては選手としてプレーしたいという気持ちがまだ強かったんですが、自分のコンディションも整えながらでいいということだったので、コーチとして指導しながら選手としても次に向けて準備をしようと。結果的には、木原(正和)監督の意向もあって今は選手兼コーチという形になっています。
 
-今後のサッカー人生は、どんなビジョンを持っていますか?

大きく言えば、「サッカーでご飯を食べていきたい」。ただ、今はこのチームで選手としてもコーチとしても結果を残さなければいけないので、将来のビジョンというのを考える暇がない感じです。すべてが終わったら、次の「サッカーでご飯を食べる手段」を考えればいいのかなと。サッカーをやめることは、たぶんないと思いますね。



<了>

Text & Photo: 本多 辰成




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