2015-07-09

<プロフィール>
松田 裕貴 / Matsuda Yuki
元 Pachanga Diliman F.C.監督 (フィリピン)

びわこ成蹊スポーツ大学を卒業後、イギリスに指導者留学。帰国後、セレッソ大阪のスクールの指導者を経て、ベトナム・シンガポールでサッカーの指導者としてキャリアを積む。2014年、フィリピン一部リーグのPachanga Diliman F.C.監督に就任。

タイをはじめアセアン各国のプロクラブに日本人監督が就任することは珍しくなくなってきた。しかしその殆どはJリーグや他国でプロチームの監督を経験した人。そんな中、プロチームの監督を経験せずしてフィリピンのプロチームの監督になった日本人がいる。松田裕貴。彼はどのような過程を経てプロクラブの監督のポジションを掴み取ったのか?バイタリティ溢れる彼の行動力は、今後指導者としてのキャリアを積みたい日本人には参考になるだろう。

-プレーヤーとしてはどこまでやられたんですか?

びわこ成蹊スポーツ大学を卒業後、滋賀県の社会人リーグでプレーして、その後2009年~10年イギリスに滞在してたんですけど、その時5部リーグのチームでプレーしてました。プレーヤーとしてはそこまでです。

-イギリス時代は指導者もやられてたんですよね?

Plymouth Argyle F.Cという、プレミアリーグの一つしたのリーグに所属しているチームでトップチームとアカデミーを指導していました。語学学校に通いながら、サッカーの指導と英語の勉強の生活でした。

-イギリスでの生活はどうでした?

それまで全く英語は勉強してこなかったので大変でした。食事が合わなかったり、天気が悪かったり、あと差別も受けたりと生活面は結構苦労したんですけどサッカーの環境はよかったです。最初は友達もいなかったので、ボールとスパイク持って、そこら辺でプレーしているイギリス人に混ぜてもらって友達を作りました。サッカーやってるときは楽しかったです。

-イギリスの後は一旦日本に戻ったんですよね?

はい、日本に戻ってセレッソ大阪のアカデミーの指導者になりました。小学生と中学生を教えてました。

-どうでした、セレッソは?

他のJクラブを知らないんですが、今まで所属したクラブの中では一番進んでるというか、学ぶ事が本当に多かったです。

-この時は給料はもらってますよね?

はい。ここからプロの指導者になりました。イギリス時代は無給でしたけど。

-2年セレッソで指導者の経験を積んだ後、いきなりベトナムに行かれたんですよね?これは何か理由があったんですか?

セレッソでキャリアを積むのも一つの選択肢だったんですけど、せっかくイギリスで習得した英語も忘れかけていたので、海外でキャリアを積むのも一つの道かなと思って。ベトナムにあるサッカースクールにコネクションがあって、そこで教えることになりました。ベトナムに住んでいる日本人小中学生向けのサッカースクールですね。ホーチミンで活動してました。

-それでまた一年後、国境を越えるわけですよね?

今度はシンガポールに行きました。知り合いから、アルビレックスシンガポールのスクールマネージャーのポジションンを募集していると聞き、「シンガポール行きたい」と思って行きました。

-スクールマネージャーはどんな仕事ですか?

スクールの現場の運営から、スタッフの管理から何でもやりました。基本的に現地在住の日本人を対象にしたスクールで、たまにCSR活動の一環として、現地の小学校に教えて行ったりとかもありました。

-トップチームのコーチもやったんですよね?

短い期間でしたけど。

-その時スクールからプロチームのコーチへ代わるわけですが、どうでした?

最初はスクールとプロ選手では接し方が違うのでギャップはありましたが、すぐに適応出来たかなとは思ってます。ただ半年も経たないうちに辞めることになりました。

-約半年ですよね?それで次のチームを探したんですか?

次のチームを探すとなった時、世界中のプロチームにCV(履歴書)を送りました。それで返信があったのが、ニュージーランド、インドネシア、そしてフィリピンのクラブ。面接まで進めそうだったフィリピンのクラブが一番可能性がありました。それでフィリピンに行ったんですけど、交渉が進んでいたクラブとは結局折り合わず、ダメになりました。そこでまたイチから自分が持っているコネクションを使ってチーム探しをしました。その時はフィリピンのプロリーグが開催されているスタジアムに直接行って、観戦に来ているチームオーナーに自分のCVを直接渡して売り込みました。それでフィリピン1部の Pachanga Diliman監督への就任が決まりいました。

-その作戦もなかなかすごいですね。

いやー、自分のような経歴だとそこまでしないとプロチームの監督になんてなれないですよ。

-フィリピンで監督になってみてどういう印象でした?

日本と比較してもしょうがないんですけど、クラブの運営自体はルーズですね。練習時間もオンタイムじゃないとか、練習試合も組めなかったり。

-その中で結果は14チーム中4位。

外国人の質はいい。ただフィリピン人は日本人の僕らが育成年代で習うようなことも出来てないんですよね。ただそこを徹底すれば段々良くはなる。
 
-フィリピンのプロリーグってどうなんですか?

リーグ全体でいうと、今のタイのDivision-1のレベル位でしょうか。上位4チームは資金もあるので、もしかしたらタイプレミアくらいのレベルはあるかな。選手の収入は多い選手で月100万円前後ですかね。ほんの一部の外国人選手でその位なので、下との差はもちろんかなりあります。

-ローカルの選手は?

ほんの小遣い程度の選手もいるので、別の仕事をしながらのセミプロもいます。

-フィリピンでのサッカー人気は?

バスケが一番人気で、サッカーファンも増えてきてます。代表は人気ですね。ハーフの選手が多くで、その選手達がフィリピンに帰化して、いい選手が増えてます。代表はいいんですけど、今後はプロリーグを発展させる必要はありますね。

-フィリピンでの日本人監督に対する評価は?

タイみたいに日本人監督はいなく、僕だけだったので、最初4位になったときはそこそこやるんだなといった評価はもらえたかと。日本人に対してはフィリピン人は厳しい、ストイックといった印象を持ってます。練習の開始時間とか、今までは指導者が遅れて来るのも普通だったらしいので。

-退団したのは何か理由が?

監督になって、カップ戦があって、その後リーグ戦をやっている最中にメインスポンサーが降りてしまい、自分の給料を払えなくなった。監督として在籍したのは7ヶ月ですね。今後は一旦日本に帰ってまたチームを探します。出来ればまた海外でという気持ちはあります。日本だと自分と年だと監督にはなれないですからね。外に出ればその分チャンスはありますから。

-それは実際アジアで指導者として仕事してみて感じることですか?

そうですね。日本人って当然やらないといけないことを当たり前にやるじゃないですか。それがアジアでは貴重というか、強みにはなるのかなと。

-ではまたアジアでチャレンジしたいと?

そうですね。また帰ってきたいですね。

-将来の目標は?

目標はイギリスでプロの監督をやりたいですね。あの環境の中でまたやるのが一番の目標です。今は東南アジアですけど、ちょっとずつ西に行ければと。当然中東にも興味ありますよ。


<了>
Photo & Text: ASEAN FOOTBALL Link




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