2015-08-07

<プロフィール>

太田敬人 / Ota Takahito

Ministry of National Defense F.C. (カンボジア)

 

2010年にバンコク・クリスチャン・カレッジ(タイDivison-2)に加入。11年、カンボジアリーグ初の日本人選手として、プノンペンクラウンでプレー。 現在は選手としてだけでなく、GFAソリアカンボジア支部の運営にも携わる。


「カンボジアリーグ初の日本人選手」として、2011年からカンボジアリーグでプレーする太田敬人。現在は、サッカースクールにも携わりながらプレーを続け、昨シーズンはカンボジアリーグの日本人選手が急増するきっかけともなった。W杯アジア2次予選では日本とも対戦することになったカンボジアを誰よりも知る日本人である太田に話を聞いた。

 

-カンボジアリーグ初の日本人選手として今季で5シーズン目だそうですが、その前はタイリーグでプレーしていたのですね。

 

タイのディビジョン2(3部)でプレーしていました。僕と同時期に4、5人くらい入ったんですが、僕らが初めてディビジョン2のクラブと契約した日本人でした。最初はタイプレミアリーグ(1部)を受けに行ったんですけど、実績がない選手は相手にされにくい。そこでディビジョン1、ディビジョン2と下部リーグもあるのを知って、チーム数の多いディビジョン2なら可能性があるんじゃないかと。実際、ディビジョン2ではすぐにチームが決まりました。

 

-まだ今のように多くの日本人選手が東南アジアでプレーしてはいなかったと思いますが、なぜタイでプレーしようと思ったのですか?

 

高校はそれなりに強いところでやっていたんですが、それでもプロに近づけている気がしませんでした。日本でプロになるにはどうしたらいいのか、想像ができなかったんです。高校卒業後は長野県の専門学校に進学して、そこが北信越リーグに所属していたので地域リーグでプレーしていました。その頃、専門学校で海外に遠征に行ったりするなかで、「別に日本にこだわる必要はないんじゃないか」と思ったんです。

 

-それで、すぐに海外挑戦を?

 

専門学校を卒業したら、海外へ挑戦しに行こうと決めました。プロ契約できなくても、自分がどれくらいのレベルにあるのかがわかれば次につながると思ったので。ネットで調べると、日本国内のものはないのに、海外のプロ挑戦サイトみたいなものはけっこうあるんですよね。そこでたまたまシンガポールのトライアウトを見つけて挑戦しました。その時は2ヶ月くらいねばったんですが、契約はできませんでした。でも、ローカル選手のレベルはそれほど高くなかったので、レベル的には自分もプロになれるかもしれないという手応えは掴むことができました。

 

-その時は、いったん日本に戻ったのですか?

 

日本に戻って、アルバイトをしながらクラブチームでプレーしていました。一年間お金を貯めて、次の年にもう一度シンガポールとタイでトライアウトを受けに行って、その時にタイでチームが決まりました。

 

-当時、ディビジョン2の待遇というのはどういった感じでしたか?

 

最初のバンコク・クリスチャンカレッジの時は、月給が1万2千バーツ(現在のレートで4万円強)。それに、住居費やビザ代はチームが出してくれて、朝食も出る、という感じでした。

 

-そうすると、現地ではなんとか生活可能な範囲内の待遇ではありますね。

 

そうですね。日本ではアルバイトをしなければサッカーができませんでしたし、スタートとしては「サッカーでメシが食えればいい」と考えていたので。日本では、Jリーガーでも給料が10万円くらいのこともあると聞きますから。

 

-そこから、「カンボジア初の日本人選手」となったのにはどういう展開があったのですか?

 

タイで1年プレーしたあとに、ミャンマー初の日本人選手を狙ってテストを受けに行ったんですが、その時は契約できずにタイに戻りました。それでカンボジアとの国境があるサケオのディビジョン2のチームでプレーすることになったんですが、「2年目は絶対にステップアップしたい」という気持ちが強かったので、もうタイのディビジョン2でやるモチベーションがなくなってしまっていたんです。やっぱりどこかの国の1部リーグでやらないと、その国でも日本からも注目されないということが一年やってわかったので。そんな時にカンボジアのプノンペン・クラウンというチームで練習参加できるという話を聞いて、思い切ってシーズン途中でカンボジアに挑戦しに行きました。

 

-タイのチームとの契約は解除したのですか?

 

はい。契約を解除してもらう形で、カンボジアにかけて行きました。それが2011年の5月で、カンボジアリーグは前期が6月で終わる日程だったので後期から契約できる可能性があるということで。実際、2週間くらいで入団が決まりました。結果論かもしれませんが、狙いがすごくハマりましたね。「カンボジアリーグ初の日本人」というだけで周りの反応も全然違って、練習参加している時から現地のメディアが来て、「タイから来た日本人選手がプノンペン・クラウンでトライアウト」と次の日の新聞に出るような感じでしたから。入団してからも最初の3試合くらいは毎試合僕の顔写真が新聞とウェブサイトに載っていましたし、フェイスブックなどでシェアされてすぐに知ってもらうことができました。

 

-望んでいた通りの展開になったのですね。

 

そうですね。タイのディビジョン2にいた時は誰にも知られることがなかったですけど、カンボジアに行った途端に日本のメディアからも問い合わせが来たりしましたから。実際、待遇としてはタイの方がよかったんです。2年目のサケオの時は基本給が2万バーツちょっと(現在のレートで7万円強)、カンボジアの1年目は500ドルくらいで、物価はカンボジアの方が高いですから。でも、カンボジアでは「これがプロサッカー選手か」という実感がありましたし、給料が下がってもこっちの方が正解だなと思いました。

 

-タイ人と比較して、カンボジア人の特徴みたいなものは何か感じますか?

 

時間に関してはきっちりしていますね。カンボジアで4シーズンやってきて、所属したチームはどこも練習が時間通りに始まりましたし、真面目ですね。そこはすごくびっくりしました。あとは、カンボジア人の方が協調性があって、プレーを合わせやすいような気はします。ただ、すぐに諦めてしまったりするところはタイと似ています。一点取られると、「もうダメだ、こいつら強い」という感じになってしまうんです。

 

-カンボジアはワールドカップでも初めてアジア2次予選に進出しましたが、成長が始まりそうな雰囲気がありますか?

 

年々、サッカーの盛り上がりは間違いなく出てきていますし、4年前と比べたらリーグのレベルも格段に上がっていると思います。ヨーロッパのサッカーはもともと人気があるので日本代表選手もよく知られていて、2次予選で日本と同じ組になったことへの注目度は相当なものがあります。日本戦は間違いなくスタジアムが満員になると思いますし、その盛り上がりを生かしてほしいですね。

 

-カンボジアリーグでプレーする日本人選手も、昨シーズン一気に増えましたよね

 

日系のクラブの日本人選手以外は、僕から派生して来た選手が多かったんですが。カンボジアはプロ経験のない選手がキャリアを始められるリーグというのはある程度知られるようになってきたと思うので、どんどん入ってきて盛り上がればいいなと思っています。

 

-今年がカンボジア5年目ということですが、今はサッカースクールの事業などもしているそうですね。

 

1年目に試合に出て結果もある程度残せて、在住の日本人の方からサッカーを教えてほしいと言われたのがきっかけでした。それで、シンガポールでトライアウトを受けた時に知り合っていた斉藤(泰一郎)に連絡を入れて、サッカースクールの話をしたんです。それで、「GFAソリア」(斉藤氏がシンガポールで運営するサッカースクール)のカンボジア支部を一緒にやろうということになって、斉藤と中村(彰宏/両氏ともに現役時代はシンガポールリーグなどでプレー経験のある元選手)と3人で2012年に会社を設立しました。

 

-選手と二足のわらじは大変ではありませんか?

 

体力的には大変なのかもしれませんけど、やっぱり自分を評価してくれた、「自分をプロにしてくれた国」だと思っているので、何か貢献したい、残したいという気持ちが強いんです。今は現地の孤児院を紹介してもらってサッカーを教える活動などもしていますが、忙しくても自分としては全然苦しくはありませんね。

 

-今後のサッカー人生はどんなビジョンを描いていますか?

 

この事業はこれからもやっていきたいと思っているので、当面は日本に完全に戻ることはないと思います。今はカンボジアに日本のチームを連れてきて盛り上げるようなことをやっていますが、今後はその逆もあると思いますし、カンボジアを拠点にいろいろと活動を広げていければと思っています。

<了>

Text & Photo: 本多辰成




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