2015-08-19

「シンガポール在住の日本サッカー大好き少年に未来を見る」

昨年10月、アギーレジャパンが中立地のシンガポールで親善試合を行った日本vsブラジル現地の少年の大多数がネイマールのネーム入りのバルサ、ブラジルのレプリカユニフォームを着た。同じアジア人、中立地開催であるのに関わらず、圧倒的ブラジル贔屓のスタジアム。



そんなあたかも敵地アウェーにも似た環境の中熱狂的日本サッカーファンの現地在住の少年が1人いたことはご存知だろうか?

は、興行開催が決まってからシンガポール人セキュリティーと幾度も協議を重ね日本のホームでおなじみのアディダスの巨大なジャージを掲げる許可をとりつけ世界の果てまで日本代表をサポートする「ウルトラスニッポン(熱狂的サポーター)」に認められ自作で作成した「ウルトラスニッポン inシンガポール」の幕を朦々と彼らの聖域、誇りでもある日本のゴール裏の、ど真ん中に貼り付けを歓迎された。

たった1回の興行、親善試合を誰よりも「熱く」サッカー日本代表をサポートした

シンガポール在住のオーストラリア人のジェームズ・ガウ君(14歳)だ。

 「彼のような少年に東南アジアサッカー、日本サッカーの両方の未来が託されている」


14年10月、シンガポールでの日本対ブラジルの試合で掲げられた幕。

 

時は経ち、8ヶ月後奇しくもアジア2次予選にてその時の中立地のシンガポールとの対戦となった、結果は0-0でご存知だろう。

マレーシアリーグ所属のGKイズワン・マフブドだけが光り輝いた試合だった。
彼に東南アジアのサッカーの希望が見えた。

日本人選手のヨーロッバ移籍がまだ、遠いレベルの存在だったあの時を思い出してほしい三浦知良が扉を開け、中田英寿が扉を固定し、それ以降日本サッカーが大きく飛躍した。当時の、サッカー少年はみな、こぞって「ペルージャ」「ローマ」の海外ユニフォームを着て、ヨーロッパクラブが日本の身近にあることが認知された。

その彼らが大人になり、現在のサッカーライト層における現状。Jリーグ<ヨーロッパリーグの礎を作ってしまったといっても過言ではない。

あれから数十年。

今度は、東南アジアから元コンサドーレ札幌のベトナムサッカーの英雄レ・コン・ビンがJリーグの扉を開いた。

GKイズワン・マフブドは松本山雅との契約までには至らなかったが実力で東南アジアからJリーグの扉を固定しかけたが、固定せず開いたままになった。

そうそうの風では閉まることはない扉だ。
人口、GDP共に増え続ける、東南アジアのサッカーマーケットは計り知れない
近い将来、あの時の日本のように、東南アジア人Jリーガーがもっと身近に出てくるはずだ。

Jリーグクラブ関係者に強く言いたい「東南アジアサッカー」にもっと目を向け先行投資するべきだ。構想だけではもう遅い、大きな実行に移す時がきている。
きっかけは、したたかなマーケット面だけでも良い。きっとガウ君のような少年が増えてくるであろうし、ガウ君のような少年を増やさないといけない。

あの時のスタジアムで、大多数の少年達にネイマールのユニフォームを着せてはいけなかった、ゆるい興業試合での0-4のスコアの失望、インパクトより少年達のユニフォームの「色」に危機感を覚えるべきだったはずだ。

 

東南アジアリーグ関係者、メディア、企業家にも注文がある
ヨーロッパではなく、Jリーグをもっともっと意識してほしい。W杯への出場、世界で勝つには日本が一番の模範、近道になるだろう。気質に感性が優しい日本人は東南アジア人を歓迎する。がむしゃらに挑戦する筋書きのないサクセスストーリーはメディア、SNSで格好なネタだ。同時に日本が失敗した自国リーグへの関心対策も十分に講じてほしい。

Jリーグの歴史を掘り下げ教訓にすれば、良い答えが出てくるはずだ。

 

数年後、東南アジアの少年達のレプリカユニフォームは、ヨーロッパリーグ?Jリーグ?その時の少年達のユニフォームのチョイスが、東南アジアサッカー、日本サッカーの両方の現状、未来を決めているはずだ。
 

東南アジアからヨーロッパは、まだまだ遠すぎる。

<了>

Text & Photo:奥山 義人

奥山 義人 / 東京都出身
少年期より、Jリーグ開幕から毎年15試合近くは現地観戦。ドイツW杯現地観戦や東南アジア各国リーグの観戦。神奈川県湘南地区にて飲食経営。

 




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