2015-09-06

<プロフィール>
山下 訓広 / Yamashita Kunihiro

Hougang United F.C. (シンガポール・Sリーグ)

2009年、流通経済大学からロアッソ熊本に入団。翌年、アルビレックス新潟シンガポールへ移籍。2シーズンプレーした後、同じくシンガポール・Sリーグの強豪タンピネス・ローバーズに移籍。15年シーズンより、同リーグのホウガン・ユナイテッドでプレー。

Jリーグのロアッソ熊本から2011年にシンガポール・Sリーグに移籍した山下訓広。アルビレックス新潟シンガポールからスタートしたシンガポールでの戦いは、今季で5シーズン目を迎えている。タンピネス・ローバーズでは主力としてリーグ優勝も経験するなど、Sリーグに足跡を残す日本人ディフェンダーに話を聞いた。
 
-今季がSリーグ5シーズン目ということですが、どういった経緯でシンガポールに移籍したのですか?

ロアッソ熊本との契約が終わって、チームを探していました。Jリーグのトライアウトを受けたら、アルビレックス新潟シンガポールの是永(大輔)さんから電話をいただいて、「トライアウトを見に行ったんだけど、うちに来ないか」と。それがシンガポールに移籍するきっかけでした。
 
-当時、海外への移籍も視野にありましたか?

当時は海外リーグの知識は全くありませんでしたけど、サッカーができればどこでもいいかな、とは思っていました。ちょうど韓国のKリーグのチームが熊本でキャンプをするということで、そこにも参加させてもらうことになっていましたから。アルビレックス新潟シンガポールの話は、最初からオファーという形だったので、移籍を決めました。
 
-アルビレックス新潟シンガポールは選手を含め日本人ばかりのチームですから、海外リーグとは言ってもそれほどギャップはありませんでしたか?

それは、全く感じませんでしたね。プロ契約の選手と日本の専門学校からの学生選手が混じっているチームなので、「若いな」とは思いましたけど。
 
-リーグのレベルはどう感じましたか?

自分がやっているリーグなのであまり悪くは言いたくないですが、強いチームでも日本で言えば「J3ならなんとかできるかな」というのが正直なところです。外国人選手は強力な選手もいますが、シンガポール人選手に関しては上手い選手とそうでない選手の差があるという印象です。
 
-個人として、海外だからこそ成長できた面などはありますか?

こっちに来てから萎縮せずに自信を持ってプレーできるようになった面はあります。体力面で人より上回っているわけではないですし、走れるほうでもないので、日本ではヘディングの強さという「飛び道具」だけで使ってもらっていたようところがありました。日本ではボールをつなぐことも重要なので、「このパスミス、浮いてるな」とか思っていちいち気にしていたんですが、一回のミスにこだわるような弱い部分はなくなりました。それから、外国人は求められるものが違うので「目に見える結果」を強く意識するようにもなったと思いますね。
 
-ディフェンダーの場合、「目に見える結果」というと何を意識するのですか?

もちろん試合数などもそうですけど、「得点」も意識するようになりました。結局、CV(経歴書)などではそういう数字として見えるものが評価されるので。たとえば3対2で勝ったとして、ディフェンダーとしては2失点していても3点目を自分で決めれば「よくやった」みたいなところがあるんです。ヘディングには自信があるのでセットプレーの時は意識して、「俺のとこに来い」しか考えていませんでしたね。日本では「どうやって守ろう」ということだけで、得点なんて全然考えていなかったので、そこは変わったところです。
 
-シンガポールでは、1年目から出場機会は多かったですか?

1年目は三分の一くらいしか使ってもらえなかったんです。その時は「俺が、俺が」という気持ちがすごく強くて、「俺のほうがいいのに」とか思いながらやっていました。試合に出たくて「何で、何で」という悪循環でした。チームのために何ができるかとか、そういう部分が足りませんでした。当時の監督は今、柏レイソルでコーチをされている杉山(弘一)さんだったんですが、そういう部分が態度にも出ていたから杉山さんも使わなかったんだと思います。そういうことができない選手は前提として選択肢に入らないということを1年目に感じて、二年目は使ってもらえるようになりました。
 
-杉山さんは、昨年タイリーグでも監督を務めて高く評価されました。どんな監督でしたか?

杉山さんにはそういう面も含めて、いろいろ変えてもらったと思います。ポゼッションが好きな監督で、どちらかと言うと僕は苦手だったんですが一から教えてもらって。高校でも大学でも「ヘディングありき」でそれに頼っていた部分があったんですが、プレーの幅や視野が少し広がったと思います。たとえば、「ボールをオープンに置け」と言われても、正直それまでは、「オープンてどこ?」「置いてるつもりなんだけどな…」という感じだったんですが、杉山さんに教えてもらってはっきり意識できるようになった部分は多いです。
 
-タイリーグでも、選手から「わかりやすい」という声を聞きました。

そうですね。基礎的なことでも細かく本当にわかりやすく教えてくれましたから。パスのボールの質などにもすごくこだわるんですが、たとえば基礎の練習で「ボールの中心を叩く」とか。あまり意識していなかったことを、一から丁寧に指導してくれる監督でした。
 
-アルビレックス新潟シンガポールで2年間プレーしたあと、強豪のタンピネス・ローバーズに移籍しています。

アルビレックスの2年目で評価してもらって、移籍することができました。3年目はほぼ全試合出てリーグ優勝をすることができたので、一番充実したシーズンでした。
 
-3年目から本格的に外国のチームという感じだったかと思いますが、そこで何か新たに感じたことはありましたか?

アルビレックスの時は外国人枠というの意識していなかったので、「かなり求められるものが違うな」と感じました。それで得点なども意識するようになったんですが、実際、点を取るようになってからチームメイトにも信頼されるようになったのを感じました。
 
-ローカルチームでも複数の日本人選手がプレーしていますが、Sリーグは待遇の面などはどうですか?

タンピネスは特に待遇がよくて、満足していました。家もコンドミニアムを用意してくれましたし、J2よりも全然いいですね。
 
-たとえば日本の若い選手が、Jリーグよりレベルの落ちる東南アジアで経験を積むことは意義があると思いますか?

難しいですね。もちろん、ないことはないと思いますが、技術的に学ぶことは少ないのかなとも思います。外国人という立場で経験を積むことができるので、それがどういう意味を持つのか。タンピネスにいた2シーズンでも半年で切られる外国人選手が何人もいましたし、結果がでなければ「外国人のせい」くらいの責任をもってやらなければいけません。そういう環境なので、自分がチームを引っ張らないといけない。どうしたらチームがうまくいくか、チームのために何ができるか、そういったことを考えることには意味があると思います。
 
-日本で出場機会が少ない選手などは、東南アジアも選択肢になり得る。

そうですね。自信を取り戻すチャンスには絶対なると思います。僕の経験上、心が強くない選手はミスを恐れてなかなかチャレンジしなくなって、安全なほう、安全なほうへ行くようになります。トライしたミスにはたぶん意味がありますけど、トライできなくなったら逃げてミスするしかありません。言い方は悪いですけど、実際、レベルの落ちるところでやることで自信を取り戻せるところはあって、それを日本でも継続できるかだと思います。僕もアルビレックスを終わる頃に、「なんで日本でもこういうふうにやらなかったのか」と思ったんです。何をそんなに怯えていたのか、もっと堂々としていればよかった、と。なので、自分次第で得るものはあると思います。
 
-今後のサッカー人生の目標などはありますか?

去年タンピネスを退団して、ミャンマーにトライアウトを受けに行ったんです。1、2週間いて、たぶん契約できるというところまで行ったんですが、その話がなくなってしまって本気で引退しようかとも考えました。でも、その時にタンピネスで一緒にプレーしていた金古聖司さん(ヤンゴン・ユナイテッド)から「とりあえずやりきって、ダメだったらOKなんじゃない?」と言われて、そうだなと。そのあと今のホウガン・ユナイテッドから練習参加の話をもらって契約することになったんですが、今は「サッカーをやれててよかったな」と感じています。1年でも2年でも長くサッカーを続けたいですね。

 
<了>

Text & Photo: 本多辰、Hougan United FC 




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