2015-11-07

<プロフィール>
山形 雄介 / Yamagata Yusuke
EDL FC(ラオスプレミアリーグ)

2009年に佐川印刷SCに入団。11年にS.C.相模原に移籍し翌年は東京都リーグのHBO東京でプレー。その後、カンボジアのビルドブライトユナイテッド、
ラオスのランサンイントラFCでプレーした後、15年シーズンはラオスのEDL FCに所属。

東南アジアの新興リーグ、カンボジアリーグとラオス・プレミアリーグの両方でプレーした数少ない日本人選手である山形雄介。JFLなどでプレーしたあと、アジアへの移籍が実現するまでには長い道のりがあった。山形はなぜ、そこまでして日本を離れ、アジアでのプレーを選択したのか。戦いの場を東南アジアに求めた理由とその戦いに迫った。
 
-山形選手はJFLの佐川印刷SCや地域リーグだった当時のSC相模原に所属したあと、昨季はカンボジア、今季はラオスでプレーしました。アジアへの挑戦を考えたのはなぜですか?

2011年にSC相模原に所属していたんですが、怪我でほとんどプレーできずにそのままアウトになりました。このまま日本でやっていてもどうなのかなという思いもあって、海外に行ってみたいという気持ちがありました。佐川印刷時代のチームメイトだった櫛田一斗(チャイナート・ホーンビルFC)などがタイでプレーしていたこともあって、最初はタイへ行ったんです。
 
-結果はどうでしたか?

その時は滞在期限の一ヶ月間だけ挑戦する形で、チームは決まらずに日本に帰りました。そのあとにインドリーグの話があって、インドへ行ったんです。インドは10月から4、5月くらいまでの秋春制で、シーズンが終わる前くらいの時期に翌シーズンの編成をある程度決めたいというチームでいくつかトライアウトを受けました。アジアではよくあることですが、だいたい「いい感じだよ」というような反応なんですが、そのまま返事がないという状況で。日本はすでにどのカテゴリーもシーズンが始まっていましたし、どこかに所属してしまってもインドへ行くことができませんから、しばらくグダグダと時間が過ぎてしまいました。
 
-最終的には、どのように決着したのですか?

所属のない状態が半年ほど続いて、その年の11月頃にもう一度インドに行ったり、ミャンマーに行ったりしていろいろありました。その後、インドのチームと契約できるという話があって、当時住んでいた部屋を出て、車も売ってインドへ行く準備をしていたんですが、その話が急遽なくなってしまって。まるまる1シーズンが過ぎてしまっていましたし、いよいよどうするかと。とにかくどこかに所属してトレーニングをしないときついと感じていたので、2013年は1シーズン、東京都リーグのHBO東京というチームでプレーしました。
 
-それだけ大変な思いをしながら、アジアでプレーしたいという思いは変わらなかったのですね。

そうですね。もともと日本では、やはりJリーグでプレーしたいという気持ちがありました。大学を卒業するときにJリーグクラブのキャンプまで行かせてもらったんですが、契約には至りませんでした。それでJFLの佐川印刷でプレーすることになったんですが、半日仕事をして半日練習という生活でした。人によっていろんな価値観があると思いますが、自分としては「普通に仕事をして、週末にサッカーをしているのと一緒なんじゃないか」という気になってしまって。それで、上を目指しているチームに行くしかないと思ってSC相模原に所属したんですが、ここは無給で、一部のプロ契約選手以外は仕事をそれぞれに探さなければいけない環境でした。Jリーグも選手が飽和状態ですし、日本では先が見えてしまうようなところを感じていました。
 
-それで、「アジア」という選択肢が浮上したのですね。

はい。年齢も年齢でしたし、そこからヨーロッパというのもイメージしにくかったのもありましたから。
 
-カンボジアではBBU(ビルド・ブラジト・ユナイテッド)というクラブでプレーしていますが、ここはすんなりと入団に至ったのですか?

一ヶ月くらい練習参加して、契約に至りました。
 
-カンボジアに来てみて、印象はどうでしたか?

まず、サッカーに関係なく、とにかく日本人がたくさんいる国だなと。そういうイメージは全くなかったのでちょっと驚きました。街並みも意外と栄えていて、パワーを感じました。サッカーに関しては、個人の技術や身体能力は東南アジア独特のものがすごくあると思いましたし、環境が整えばクオリティはもっと上がっていくだろうと感じました。去年は練習環境も悪かったのですが、今年は新しいスタジアムも一気にできて、これからの国だと思います。
 
-実際、今回のワールドカップ予選では初めてアジア2次予選進出を果たしましたし、U23以下の若い世代のレベルアップは顕著です。

今年ラオスに来てから、一度カンボジア代表がラオスへ遠征に来たことがあったんです。その時に見たら、短期間でここまでレベルが上がるものなのか、とちょっとびっくりしました。U23以下の世代のレベルが上がっているのは強く感じます。
 
-そのカンボジアリーグを1シーズン戦って、今季はラオスのEDL FCでプレーしました。この移籍はどういった経緯でしたか?

カンボジアでの一年は海外での最初のシーズンということで、気候も環境も日本とは違う中でいろんなことを試しながら全てがいい経験でした。ただ、カンボジアでの契約更新はあまり考えていなくて、また他の国でチャレンジしようという気持ちの方が強かったです。もちろん他の国からオファーがあったわけではないので、いろんな人に話を聞いたりしながらどこの国へ行こうかと考えました。
 
-その中でラオスという選択肢が出てきたのですね?

最初は、レベルも盛り上がりもカンボジアよりかなり高いマレーシアやインドネシアへ行きたいと思っていたんですが、レギュレーションや外国人枠の問題でハードルが高いことがわかりました。それでラオスの話を聞いて初めて、「ラオスという選択肢もあるのかな」となった感じでした。
 
-カンボジアとラオスを比べると、レベルの差はどう感じましたか?

それほど大きな差は感じませんでした。カンボジアもラオスも、テクニックがあって能力の高い選手はいます。環境的に去年のカンボジアはほぼオリンピックスタジアム一つでやっていたので、それに比べるとラオスの環境はいいですね。ナショナルスタジアム、ランサン・ユナイテッドの新スタジアム、旧ナショナルスタジアムなど、スタジアムはありますから。カンボジアも今年になって新しいスタジアムができていますが、環境が整ってくると純粋に技術の勝負になるので、身体能力のある黒人選手の優位性が落ちて日本人が活躍できる可能性は高くなると思います。
 
-カンボジアリーグは今季15名ほどの日本人がプレーしましたが、ラオスはまだ一桁にとどまっています。この差はどこにあると思いますか?

ラオスのほうが上位クラブの待遇はいいかもしれませんが、最低限のサラリーを出せるクラブの数はカンボジアの方が多いと思います。ラオスの場合は、生活をした上である程度蓄えもできる程度の額を出せるチームが数クラブしかないので、その他はほとんどアフリカ系の黒人選手のみという状況です。
 
-日本人がプレーできるクラブの数が、カンボジアの方が多いということなのですね。実際、日本を離れてアジアでプレーしてみて、「来てよかった」と感じていますか?

「次はこうなりたい」というのはずっと続くと思うので満足ということはないですが、日本にいた時よりは「サッカーで生活している」という感覚はつかめています。外国人として常に結果を求められる身分ですし、ダメだったらいらないという状況です。そういった面での責任感や危機感は日本では感じられなかった部分でした。
 
-この先も、アジアでの戦いを続けていきたいですか?

やれるところがあればどこの国でも、という気持ちですが、単純に違う国にももっとチャレンジしたいという気持ちもあります。ただ、今の状況も含めて考えると、ACL(AFCチャンピオンズリーグ)に出られるようなチームに行きたいという目標はあります。そのためには、もっとステップアップしなければいけません。今やっていることでしか未来は作っていけないので、目の前の試合にフォーカスする。そこは変わらずにやっていきたいと思っています。



<了>

Text & Photo: 本多辰成




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