2015-11-28

<プロフィール>
ピョン・テフィ
水戸ホーリーホックユース〜朝鮮大学(中退)〜ラオ・トヨタFC〜イースタンスターFC(レンタル)。大学を2年で中退して、アジアでプロになることを決意。ゴールキーパーとして2シーズン、ラオス・プレミアリーグでプレーした。今季で現役を引退し、来季からは母校の多摩大学目黒中学高等学校サッカー部のコーチに就任予定。

ラオス・プレミアリーグでキーパーとして2シーズンを過ごしたピョン・テフィ。将来、指導者となるために、大学を中退してアジアでプロ選手として経験を積む道を選択した。今季で現役を引退し、来季は日本へ戻って母校のゴールキーパーコーチに就任することが決まっている。ピョンの選択は、「アジア挑戦」の多様な意義の可能性を感じさせてくれる。
 
-昨季と今季の2シーズン、ラオス・プレミアリーグでプレーしました。ラオスに来た経緯から教えてもらえますか。

大学に通っていたんですが、2年で中退してラオスに来ました。もともと最終的な目標は指導者で、そのためには一度はプロとしてやらなければいけないという思いがありました。高校の頃から周りの人からは「海外に行ったほうがいい」ということも言われていたんですが、あまり興味がなくて。でも、大学では怪我もあって出場機会に恵まれない状況が続いたこともあって、海外に出てみようか、という気持ちになりました。選手としては「最後のチャレンジ」という思いでした。
 
-高校までは、どういったチームでプレーしていたのですか?

僕は在日3世になるので、日本で生まれ育って、日本のクラブチームや学校の部活でプレーしてきました。小学校の時はクラブチームに入っていて、中学校は部活、高校では水戸ホーリーホックのユースに所属していました。その時はJリーグでプレーしたいと思っていましたけど、トップに昇格することができずに大学へ進学しました。
 
-大学を中退して海外挑戦を決めたということですが、最初からラオスでのプレーを視野に日本を離れたのですか?

最初はタイにテストを受けに行きました。バンコク周辺のディビジョン2(3部)のチームを中心に練習参加して、一ヶ月半くらいタイにいたんですがチームが決まらなくて。興味を示してくれるチームはあったんですが、やっぱりキーパーに外国人枠を使うチームは少ないので難しさを感じました。それで、練習参加するチームもなくなった頃に「ラオスに行ってみてはどうか」という話をもらって、ラオスへ行くことになりました。
 
-ラオスでは、すぐにチームが決まりましたか?

最初はラオ・トヨタFCではなくて、別のチームのテストを受けに行く予定でした。それが、ラオスに着いた日にちょうど、同じ頃にラオスに来ていた本間和生さん(ラオ・トヨタFC)の試合があるということで見に行ったんです。そうしたら、ラオ・トヨタFCの2人のキーパーがたまたま怪我と病気で来ていなくて、「試合に出られるか?」と言われて急遽その試合に出場したんです。そうしたら「一週間くらい見たい」という話になって、練習に参加して、そのまま契約することになりました。
 
-なかなか幸運な形でチームが決まったのですね。

奇跡的に決まった感じですね。とにかく、ひと安心でした。
 
-ラオスという国には、どんな印象を持ちましたか?

正直、最初に「ラオス」と聞いた時にはタイの地方かと思ったくらいで何も知りませんでした。実際に来てみての印象は、穏やかな感じですぐに気に入りました。僕は大きい都市よりも田舎のほうが好きなので。海外は初めてだったので最初は戸惑うこともありましたけど、すぐに慣れました。食事も住むところも、全く問題ありませんでした。
 
-サッカーの印象はどうでしたか?

ラオ・トヨタに関してはラオス代表選手や元代表の選手が多いので、タイのディビジョン2よりもちょっとレベルは上かなと感じました。ただ、タイのディビジョン2にはベテラン選手もいるんですが、ラオ・トヨタは若い選手が多いので技術の質は高いけれど何か物足りないものもあるような印象がありました。去年の途中にラオス人の監督からイギリス人の監督に変わったんですが、選手の意識が変わったと思います。ローカルの監督だと「許される」という雰囲気があって、サッカーに対する意識の部分が足りなかったのかもしれません。
 

-レベルに関しては、タイのディビジョン2より上と感じたのですね。

ラオスに来てからもタイのチームと練習試合をしたりしましたが、僕はそう感じました。去年、ディビジョン1(2部)のコンケーンFCやチェンマイFCなどとも試合をしましたけど、それほど差は感じませんでした。多少、スピード感とかが違うところもありましたけど、できないことはないな、と。ただ、タイプレミアリーグ(1部)のBECテロサーサナとやったときは、やっぱり違いを感じました。
 
-ラオス人選手のレベルは、想像したよりも高かったですか?

ボールまわしとかをしても、足元の技術はけっこうしっかりしています。ただ、90分通しての戦いがちょっとできていないのかなとは感じます。前半は足が動いているんですが、後半10分を過ぎると足が止まってしまって逆転されたり、無失点の試合が少ないんです。基礎体力がないのか、集中力がないのか、理由はわからないですけど。
 
-外国人として海外リーグを戦う厳しさは誰もが感じるものかと思いますが、ゴールキーパーの場合は特別な難しさもあるのではないですか?

それは感じました。やっぱり外国人枠はフィールドプレーヤーに使いたいというのがあるので、ラオス人のキーパーより能力は上でも試合に出られないということもあると思いますから。フィールドプレーヤーの外国人が出場停止になった時や正キーパーが怪我の時などだけ試合に出られる状況で、ラオス人のキーパーと争っているのではなく他の外国人選手たちと争っているという感覚でした。それから、細かいことを伝えられないという言葉の問題も感じました。
 
-モチベーションを保つのも難しい面があったのではないですか?

1年目は割り切れるところもあったんですが、正直、2年目に入って難しい時期がありました。2年目にはAFCカップもあって自分にとってもチャンスだと思っていたんですけど、外国人選手を4名しか登録できないということでそこでもメンバーから外れてしまって。モチベーションをどこに持っていけばいいのかという感じで、練習にも身が入らないようなこともありました。アマチュアの世界ではないので、当然、頑張っている選手を出そうということもないですし、チームの方針もあって正キーパーで出るのは難しいのかなと。でも、何かあった時のために準備はしておかなければいけないので難しい面がありました。
 
-大学を中退してアジアに挑戦したことに対しては、良かったと感じていますか?

後悔はしていないですし、逆に良かった面が多かったと思います。現実が見えましたし、いろんなことを経験することができたので。たとえば去年、築館範男さんがラオス代表の監督をされていた時に、一週間くらいコーチをさせてもらったこともありました。オフ期間だったので勉強しようと思って行ったところ、GKコーチがいないからやってくれ、という感じで。ちょうどカンボジアとの試合があって、一度ベンチにも入らせてもらいました。日本にいたらあり得ないことなので、いい経験になりました。
 
-来季からは母校の多摩大学目黒中学高等学校サッカー部のゴールキーパーコーチに就任するそうですが、アジアでの経験は指導にも生かせそうですか?

実際にやってみないとわからないですけど、生かせると信じています。2シーズンだけでしたけどいろんなことが見えたので、伝えられることはあると思います。中高一貫校なので、中学、高校と両方を教えなければいけませんから、幅広い指導の経験ができるんじゃないかと。
 
-コーチとしての目標などはありますか

ラオスでコーチの経験もさせてもらって、アジアで指導者をすることにも興味は出てきました。ただ、僕自身、Jリーグユースの出身でトップの練習に参加することなどもあったので、最終的にはJリーグのコーチになるのが一番の目標です。母校の多摩大目黒は横浜FCと提携を結んでいる学校なので、僕は株式会社LEOC(横浜FCのスポンサー)の子会社に外部コーチとして就職する形です。Jリーグともつながりのある学校なので、そこからコーチとしてステップアップしていければと思っています。



<了>
Text & Photo: 本多辰成、Lao Toyota F.C.




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