2016-12-04

<プロフィール>
大友 慧 / Otomo Satoshi
GLOBAL FC(フィリピン)

1981年、千葉県生まれ。FW。ユースまで鹿島アントラーズの下部組織で育ち、Jリーグではベガルタ仙台、サガン鳥栖、横浜FC、FC岐阜でプレー。2010年にFC岐阜を退団後はインドネシア、ミャンマー、タイ、フィリピンと東南アジアのリーグを渡り歩く。フィリピン人の母を持つハーフで、国際Aマッチ出場はないもののフィリピン代表歴を持つ。

ベガルタ仙台、横浜FCなどで活躍し、Jリーグ通算200試合以上の出場を誇る大友慧。2010年から東南アジアを舞台に戦いを続け、昨年からは母の母国であるフィリピンでプレー。目標としていたフィリピン代表にも招集された。世界中から「フィリピン系選手」を集めることで劇的な代表強化を押し進める注目の新興勢力、フィリピン。その現状と可能性を、当事者として語ってもらった。
 
-フィリピン代表としてプレーしたい、というのがフィリピンに来た理由のひとつだそうですが、いつ頃からそういった思いがあったのですか?
 
2010年にインドネシアでプレーしていた時に、どこまで現実的な話だったのかはわからないんですが、フィリピン代表入りの打診があったということを聞きました。そういう可能性があるということを知ったのは、その時でした。
 
-大友選手はお母さんがフィリピン人ということですが、実際、これまでフィリピンとの関わりはあったのですか?
 
全くありませんでした。完全に日本で生まれ育ったので英語もタガログ語もできない状態でしたし、正直、フィリピンに対して何とも思っていませんでした。むしろ子供の頃は、キャラクター的にいじめられるタイプではありませんでしたが、それに近いことはありましたし、コンプレックスでしたから。母がフィリピンの言葉をしゃべっているのも嫌でしょうがなかったし、なんでハーフに生まれてきたのかという感じでした。
 
-そこから、なぜフィリピン代表を目指そうという思いになったのですか?
 
30代になって選手としての選択肢が少なくなって、日本代表は現実的に不可能となってきたなかで、フィリピン代表として国際試合ができる可能性があるというのは魅力的でした。申し訳ないですけど、最初はフィリピンへの思い入れというよりはサッカーへの思いが強かったです。
 
-インドネシアでプレーしていた時にその可能性を知ったということですが、インドネシアへの移籍はどんな経緯があったのですか?
 
FC岐阜を契約満了になった時に、海外でやってみたいなと思ったんです。安易な考えですけど、日本はアジアでトップ3に入っているのだから、アジアの国で外国人としてプレーすることができるんじゃないかと。当時、ちょうどインドネシアリーグでアジア枠ができてチャンスがあったんです。それでトライアウトを受けたんですが、運がよくてすんなりと決まりました。1日目の紅白戦で「興味がある」と言われて、2日目の紅白戦で「獲る」と言われ、3日目に契約したような感じでした。
 
-インドネシアで3シーズンプレーしたあと、ミャンマー、タイでもプレーしています。フィリピン代表入りの可能性を知って、すぐにフィリピンリーグへの移籍を模索したわけではなかったのですか?
 
その時点では、しっかりとしたアプローチはしませんでした。正直、どうしていいのかわからなくて、一回フィリピンに行ってみようかとも思ったんですが、そこまでの行動力がなかったという感じです。ただ、2011年のスズキカップ(東南アジア選手権)でフィリピン代表が頑張っていて、選手たちの顔を見るとフィリピン人の顔ではない人もたくさん出ているなと。その時に自分にもチャンスがあるのかなと、改めて思いました。
 
2011年のスズキカップで、フィリピン代表はいわゆる「フィリピン系」の選手を世界中から集めて成功を収めました。それまでのフィリピン代表のイメージとは一変しましたよね。
 
昔のフィリピンとは全く違いますね。ちょうど自分が高校生の時、鹿島アントラーズのトップチームの練習に借り出されて、たまたま日本へ遠征に来ていたフィリピン代表と試合をしたことがあったんです。その時の印象は、「下手くそだなあ」という感じです。ヘディングするべきボールを足で蹴りに行っているし、正直言って、すさまじく下手なチームという印象が残っています。当時はフィリピン系のハーフの選手が、フィリピンでサッカーをやることなんて誰も考えていない時代でしたから。
 
それが今は、個の力は東南アジアで一番高いと言ってもいいんじゃないかと思います。今のフィリピン代表にはヨーロッパのトップリーグでやっていたフィリピン系の選手が招集されているので、経歴的にはタイ代表の選手たちよりも上なんです。ブンデスリーガの1部でのプレー歴がある選手やフランクフルトで乾(貴士)選手と一緒にやっていた選手、ドイツのアンダー世代の代表歴がある選手なんかもいます。今のフィリピン代表は、個のレベルは本当にみんなしっかりしています。
 
-今回のワールドカップ予選では北朝鮮を3対2で下しましたが、本当にフィリピン代表の能力の高さには強い印象を受けました。
 
個の能力ではタイを超えている、と僕は感じています。北朝鮮にも勝つ力があるのに2次予選で敗退してしまうのは、本当にもったいないです。ある意味、戦術がしっかりしていなくても個の力が高いのである程度成立してしまっているんですが、やっぱり日本のようなレベルの国とやった時には組織力に対応できないんじゃないかとも思います。
 


-今後の可能性についてはどう感じていますか?
 
来る前はフィリピンリーグの印象があまりなかったんですが、実際、上位の4チームくらいはタイリーグも含めて東南アジアのどの1部リーグでもやれる力があるんじゃないかと思います。ヨーロッパのトップレベルでやっていたフィリピン系の選手がローカル選手としていて、さらに外国人選手がいるのでかなり力はあるんです。ただ、下位クラブとの力の差は大きいので、プレッシャーのある試合が少ないのは欠点です。それでも、まだまだという状況だけに発展する可能性はあると思います。タイは順調にどんどん上がっていますけど、フィリピンはまだある意味で「何もない」状況です。そこがうまく行くか、というところだと思います。
 
-そういう時流の中で、大友選手も「フィリピン系選手」のひとりとして貢献できる可能性があるわけですね。
 
実際、すでに国際Aマッチではない試合にはフィリピン代表として招集されて出場しました。ただ、そのあとリーグでの国籍関係の手続きでちょっとしたトラブルがあって、実は今フィリピンリーグで出場できない状態になってしまっているんです。そのごたごたが原因で所属していたグローバルFCも退団することになってしまって、今はその問題を解決しながら、JPボルテスFCで練習を手伝っているような状況です。7月にまた移籍マーケットが開くので、そこで選手として復帰することを目指してやっています。
 
-そうすると、フィリピン代表への道も足踏み状態という感じでしょうか。
 
フィリピン代表として日本代表と対戦できたらそれで満足だったんですが、なかなか難しい状況になってきていますね。
 
-では、今はどういったモチベーションでやっていますか?
 
今は英語やタガログ語の勉強もしていて、将来につなげられればと思っています。3年後くらいにある程度しゃべれるようになっていれば、フィリピンで指導をすることになっても自分の言葉でちゃんと伝えることができるので。
 
-以前はフィリピンに対して特別な思いはなかったということでしたが、今後もフィリピンサッカーに関わっていきたいという思いも芽生え始めているのですね。
 
そうですね。昔はそんなことは思っていませんでしたけど。日本だけで何かしようというのはちょっと狭いような気もしますし、そのためにはやっぱり言葉が大事だと思います。自分の持っているサッカー観などを伝えるにも、ちゃんとした言葉で伝えたいですから。これまでサッカーしかやってきていないので、これからも一生サッカーと関わっていきたいと思っています。サッカーを通して日本とフィリピン、両方の国で仕事ができたら最高ですね。

<了>

Text & Photo: 本多辰成




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