2017-01-15

【プロフィール】
佐藤大介 / Sato Daisuke
フィリピン代表

1994年、フィリピンミンダナオ島ダバオ出身。日本人の父とフィリピン人の母を持つハーフ選手。浦和レッズの下部組織でユースまでプレーし、仙台大に進学。仙台大を中退して2014年からフィリピンリーグでプレーする。19歳でフィリピン代表に招集され、不動の左サイドバックとして活躍中。


フィリピン代表で不動の左サイドバックとして活躍する佐藤大介。日本人の父とフィリピン人の母を持ち、浦和レッズユースで育った21歳は、2014年にフィリピンリーグでプロキャリアをスタートさせた。19歳でフィリピン代表に初招集されるとすぐにレギュラーに定着、母の母国を背負って戦いつづける。2011年以降、フィリピンにルーツを持つ選手を世界中から招集することで驚くべき変貌を遂げたフィリピン代表。まさにその中のひとりである“日系フィリピン代表”に迫った。
 
-佐藤選手は、フィリピンで生まれて子供の時に日本に移住したのですよね?
 
はい。生まれたのはフィリピンのミンダナオ島というところで、すぐに日本の埼玉へ引っ越しました。母と2週間くらいの旅行のような感じでフィリピンに2、3回来たことはありましたけど、基本的にはずっと日本で育ちました。
 
-そうすると、言葉に関しては日本語のみですか?
 
今は英語とフィリピンのタガログ語も問題なく話せます。フィリピン人の母が日本で英語教師をやっているので英語は母と練習していましたし、タガログ語も母と姉が家で使っていたので言っていることはだいたいわかっていました。日本にいる時はタガログ語で返すことはできなかったんですが、こっちに来ればすぐに話せるようになるだろうとは思っていました。今はフィリピン人とはタガログ語で、チームメイトの外国人やハーフ選手とは英語で話しています。
 
-今はお母さんの母国であるフィリピンの代表としてプレーしているわけですが、フィリピン代表になるという選択肢はもともと頭にあったのですか?
 
正直、浦和レッズのユースでプレーしていた頃は頭にありませんでした。母の母国ということでもちろんフィリピンという国については近くに感じていましたが、フィリピンのサッカーについてはよく知らなかったので。正直、その頃は日本代表としてプレーしたいと思っていましたし、そこは嘘をつくつもりもありません。
 
-では、実際に自分がフィリピン代表になるという可能性に興味を持ったのはいつ頃のことですか?
 
18歳の時に旅行で母の田舎に帰った時に、従妹からフィリピン代表がすごく盛り上がっているということを聞いて、その時に周りからいろいろと話を聞いて面白そうだなと感じました。当時は仙台大の1年だったんですが、家庭の事情もあって早くプロになりたいと思っていた時でしたし、どこにいても上に行くことはできると考えていたので、フィリピンでチャンスがあるならと。父がちょっと病気になったりして、家族に早くプロで活躍する姿を見せたいというのが一番大きな理由でした。
 
-まずはプロになりたいという思いが強かったのですね。
 
そうですね。プロになるために大学でやっていたんですが、ちょっと1年やってみて、この状況に身を置いていたらたぶん4年間で何も変わらないだろうと感じていた時でもありました。もっと自分を追い込まないといけないと思っていましたし、リスクを背負って何かを追いかけるという状況をつくらないといけない、と。本当にプロになりたいなら今動くしかないと思いましたし、人として成長するためにも日本を離れることに決めました。
 
-そういうタイミングで、ちょうどフィリピンという選択肢が浮上してきたのですね。2014年にフィリピンリーグのグローバルFCに加入していますが、すんなりと契約に至ったのですか?
 
はい。1週間くらい練習に参加して、すぐに契約という感じでした。
 
-実際にやってみて、フィリピンリーグの印象はどうでしたか?
 
まだ少し足りないんじゃないかなと思う部分はありましたけど、グローバルにはすごくいい選手も何人かいました。2年間フィリピンリーグでプレーして自分でもびっくりするくらい成長したと感じていますし、もしあのまま日本にいたら絶対に今の自分はなかったと思います。毎日、何を思って練習して試合に挑むのか、何かを背負って夢を追いかけるという状況に自分を置いたことで、一日一日の過ごし方がすごく変わりました。
 
19歳でフィリピンにやってきて、すぐにフィリピン代表にも定着しました。ここまでとても順調に見えます。
 
フィリピンへ来るという選択は間違いなく成功だったと思いますし、あそこでその選択をした自分を褒めたいと思います。世界で活躍している選手とも一緒にプレーすることができていろんな経験が積めましたし、フィリピン代表として戦うのが本当に楽しいです。
 
-お母さんの母国であるフィリピンの国旗を背負って戦う気持ちはどんなものですか?
 
本当に感慨深いです。うちは僕が幼稚園の時に両親が離婚していて、母がシングルマザーで兄弟3人を育ててくれました。母にとって日本は異国の地ですし、いろいろ苦しい思いもしたので、試合前の国歌を聞いていると母が苦しんでいる姿だとか今までのことがいろいろと思い出されます。もちろん僕は日本で育ったので日本の文化とかも大好きですし、今でも日本人の部分は捨てていません。でも、これまでのことも全てひっくるめて母の母国を背負って戦うことを選んだのは本当によかったと思っていますし、それが母への恩返しにもなっていればいいなと思います。
 
-今やフィリピン代表の不動の左サイドバックとして、ワールドカップ・ロシア大会のアジア2次予選でも全試合ほぼフル出場を果たしました。フィリピン代表として戦ったワールドカップ予選はどんなものでしたか?
 
最高でした。今までのサッカー人生で一番大きなものでしたし、本当に一試合一試合負けられないという大きなプレッシャーのなかでの戦いを経験することができました。試合をするたびに自分が一人のサッカー選手としてデカくなっていくというか、成長していくのを感じていました。
 


-今回のワールドカップ予選では、ウズベキスタン、北朝鮮、バーレーンと、アジア最終予選の常連国が並ぶ厳しい組を戦いました。その中で最終戦では北朝鮮を3対2で下すなどグループ3位に入る健闘を見せましたが、アジアの上位国との距離をどう感じましたか?
 
正直、差はないと感じました。北朝鮮に対しては1勝1分けという結果でしたし、ウズベキスタンとのアウェイ戦では自分たちのミスで1対5という結果になってしまいましたけど、ホームでは前半8分で一人退場してしまったんですが0対1というスコアでした。越えられない相手ではないと強く感じましたし、次の数年ですぐに追いつけるんじゃないかと思っています。ちょっとした経験の差だと思うので、フィリピンの選手もどんどん海外へ出て経験を積んでいかなければいけないと思います。
 
-リーグのマネージメントの問題もあると聞きますが、その点はどうですか?
 
それは実際けっこうあって、難しいところがあります。2014年のスズキカップ(東南アジア選手権)の時も、その直前にリーグのカップ戦が入っていて5日間で3試合くらいこなすハードな日程でした。僕たちは決勝まで行ったので、決勝戦の5時間後くらいにはもうタイに遠征に向かわなければいけない状況で選手たちは疲れきった状態でした。自分もタイではジョギングしただけで吐いてしまうようなコンディションで、チームの日程も急きょ3日間くらいずっとオフに変更したり。そんな状況でスズキカップを戦わなければいけませんでしたから。
 
-やはりその点は、実際に大きな問題があるのですね。もう一つ気になっているのは、今のフィリピン代表は、ほとんどの選手がヨーロッパ系の顔をしています。佐藤選手も含めて国外で生まれ育った選手がほとんどかと思いますが、アイデンティティやフィリピン代表としての団結感などには問題はないのでしょうか。
 
実際、ベンチを含めてもフィリピンで生まれ育った純粋なフィリピン人の代表選手は3人くらいしかいませんし、常に試合に出ている選手では1人だけです。でも、話してみると本当にみんな「フィリピン人だな」と思うんです。心のやさしさやフレンドリーなところを持っていますし、新しい人が来てもすごくウェルカムで受け入れてくれます。自分が代表に入った時もすぐにとけ込めました。見た目は違っても心はフィリピン人ですし、みんな本当にフィリピン人であることに誇りを持っています。
 
-今回、東南アジアからはタイがワールドカップ予選でアジア最終予選に駒を進めました。フィリピンもタイに続く存在として注目を浴びつつありますが、現時点でタイとの差はどう感じていますか?
 
それは難しいところで、タイと対戦するのはスズキカップになるんですが、フィリピンは海外組も多いのでスズキカップではベストメンバーを組むことができません。なので、ベストメンバーで対戦したらどうなるのか。ただ、前回のスズキカップでも準決勝でタイと対戦してアウェイでは0対3で負けてしまいましたが、ホームでは0対0の引き分け。決めきれずに勝つことはできなかったですけど、勝ち試合だったと思います。今、タイが騒がれているのは悔しいですし、早く次の対戦をして勝ちたいですね。
 
-今後、アジアカップやアジア最終予選といった舞台で日本代表と対戦する機会もあるかもしれませんね。
 
日本代表とやって勝ちたいですね。今年とは言いませんけど、10年以内に。今東南アジアのレベルは急激に上がってきていますし、自分が代表でやれているうちに日本を超えたいです。今は笑われるかもしれませんけど、ワールドカップに出場することがフィリピン代表としてのゴールだと思っていますし、夢ではないと思います。
 
-個人としては、今後のサッカー人生にどんなビジョンを持っていますか?
 
これも今言ったら笑われるかもしれませんが、世界一の左サイドバックになることが目標です。中学までは基本的に中盤をやっていたんですが、高校1年の時にどうしたら世界一になれるかと考えた結果、左利きの左サイドバックとして世界一になろうと思って左サイドバックで勝負することに決めました。世界のトップレベルの選手のプレーは真似しようと思ってよく見ていますが、レアル・マドリーやバルセロナの選手でも同じポジションの選手はアイドルではなくライバルとして見ています。
 
-では、今後はヨーロッパでのプレーなども視野に入っていますか?
 
はい。ヨーロッパの方でもチームを探していますし、日本でも水戸ホーリーホックの練習に参加させてもらったり、お話をもらっているところもあります。ただ正直、自分の中では今の自分にとって日本は仕事をする場所としては違うのかなという感覚もあります。どこでやっても自分次第なんですが、日本は環境が恵まれすぎているのでハングリーさがなくなってしまうのが少し怖いんです。なので、まずはヨーロッパを優先に考えています。もちろん日本に戻る選択肢もあるので、どこが自分のサッカー人生にプラスになるのか慎重に考えて選びたいと思います。楽しみにしていてもらえればと思います。
※16年にルーマニア1部 CSMストゥデンツェスク・ヤシと契約



<了>

Text & Photo: 本多辰成







関連記事